真珠湾攻撃から所沢市「芙蓉会 富士見産婦人科病院事件」まで パート54

真珠湾攻撃から所沢市「芙蓉会 富士見産婦人科病院事件」まで パート54

目 次
第66章 日本と世界の架け橋 禅僧“ネルケ無方”その13

第66章 日本と世界の架け橋 禅僧“ネルケ無方”その13
 前章で原田祖岳の弟子 井上義衍の法燈である<祝米寿(88歳)“板橋興宗禅師”>について少し書いたが、最後に板橋興宗禅師は人間の言葉は理解できないが“猫の言葉”なら理解できると云う話しをした。“板橋興宗禅師”は、元総持寺管長の“渡辺玄宗”の非嫡出子だったから、“渡辺玄宗”は陰になり日向(ひなた)になりして、総持寺管長への道を用意していたから、管長に出世できただけの話しである。だから、人間の修行の指導はしないで、猫と戯れている訳である。其処で今回は世界中に配信された「猫」の話しである。

アメリカのメディアCNNが世界中に配信した
【「猫が猛犬に体当たり、飼い主の子ども救う」】
<http://www.cnn.co.jp/m/usa/35047911.html>
《ニュース概要》
“米カリフォルニア州ベーカーズフィールドで、幼児を襲った犬に飼い猫が体当たりして撃退し、幼児を救う出来事があった”
5月15日配信のCNNが伝えています。
猫の名はタラ。
13日、男の子が駐車場で自転車に乗って遊んでいると、背後から犬が!
犬は男の子の足にかみつき、どこかへ引きずっていこうとします。
そのとき、タラちゃんか猛然と犬に飛びかかり、驚いて足を離した犬を追いかけ、
犬が走り去るのを見届けてから戻りました。
こと一部始終は防犯カメラが撮影しており、全米で話題になっているそうです。
「タラは僕のヒーローだ」と語る男の子。軽傷ですみましたが、
もしかしたらとんでもないことになっていたかもしれない今回の事件。
猫のタラちゃんに拍手!ですね。
なお、犬は近所にすむ人の飼い犬だとか。
*ニュース概要は記者が元記事からまとめたものです。

【米加州のヒーロー猫、地元野球チームの始球式で「投球」】
ロイター 5月21日(水)16時58分配信
米加州のヒーロー猫、地元野球チームの始球式で「投球」
5月20日、飼い主の子どもが犬に襲われているところを助けて話題となった「ヒーロー猫」が、地元チームの始球式で「投球」を披露(2014年 ロイター/Kevork Djansezian)
[ベーカーズフィールド(米カリフォルニア州) 21日 ロイター] – 飼い主の子どもが犬に襲われているところを助けて話題となった「ヒーロー猫」のタラが20日、野球のマイナーリーグに所属する地元チームの始球式で「投球」を披露した。
タラはトリアンタフィロさん一家の飼い猫で、4歳になる一家の息子ジェレミー君を助けるため、犬に体当たりして撃退。その様子を捉えた映像がユーチューブに投稿され、話題となった。映像は以来、2100万回以上再生されている。
始球式ではまずジェレミー君が投球し、その後タラにボールが渡った。タラは、トリアンタフィロさん夫妻の助けを借りて前脚で「投球」。球団スタッフが釣り糸を用意し、ボールが空中を飛んでいるように演出した。
スタジアムには、「ヒーロー猫」の多くのファンが詰めかけ、球団スタッフによると、この日の観客動員数は通常の火曜日の試合の3倍近くになったという。

「猫のタラちゃん」が子供を救い一躍ヒーローとして世界中に配信された。トリアンタフィロさん夫妻の息子ジェレミー君は軽傷で済んだと云うことである。実に「猫の勇気」に対して、人間から賞賛の嵐である。このニュースを別の角度から見ると【韓国の危機をロシアが救った】と云う事になる。つまり<猫=ロシアのプーチン大統領。タラ=ロシア人が好きな魚>VS<犬=日本の安倍晋三>結果は、<息子=韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領>と云う図式である。しかも“トリアンタフィロさん”の意味するところは<ギリシア哲学=トリアンターギリシア東部のロードス島の町/フィロー哲学>で、<ジェレミーJeremy=友達/敵、かたき=enemy>である。だから【トリアンタフィロさんの隣家に住む犬(日本)はギリシア哲学を過度に勉強して、友達(Jeremy)だった韓国を襲撃したが、Jeremy君の心の友である猫(ロシア)が、敵の犬(日本)を撃退したので、友達(Jeremy)君は軽傷ですんだ。これを聞いた、米加州の地元球団は、日本人の国民的なスポーツである野球の始球式を演出することで、ヒーローとなった猫(ロシア)に賞賛を送った】と云う意味になる。日本は「韓国の地下鉄事故」以外にも大規模な事故を偽装した事件を計画していたが、「ロシアの特殊部隊(諜報機関)の介入で事件を未然に防いだ」と云う訳である。正に日本と韓国は一触即発だった訳である。その結果として、5月29日に韓国の政治事件として< 安大熙(アン・デヒ)首相候補が28日、辞退した。首相候補に指名されてから6日目だ。36年の公職生活の間、「国民検事」と呼ばれた安候補は2013年7月、弁護士として開業した。わずか10カ月間の弁護士生活が「前官礼遇」という批判を招き、不名誉な退陣につながった。>と報道された訳である。

次は【梅毒患者の報告数、昨年上回るペース-東京が最多、愛知でも急増】と云うニュースである。
 梅毒患者の報告数、昨年上回るペース-東京が最多、愛知でも急増
医療介護CBニュース 5月20日(火)17時48分配信
梅毒患者が昨年を上回るペースで増えていることが、国立感染症研究所がまとめた患者報告で分かった。今年の患者報告数(11日現在)は471人で、昨年同期に比べて1.3倍となっている。特に愛知県では昨年1年間の報告数とほぼ同数の50人を記録。県は「発生状況に注意を払っていきたい」としている。【新井哉】
今月11日までの都道府県別の患者報告数は、東京が最も多く146人を記録。以下は大阪(65人)、愛知(50人)、神奈川(29人)、千葉(15人)、栃木と北海道(14人)、福岡(13人)、埼玉(12人)、静岡(11人)、宮城(8人)などの順。全国最多を記録した東京都では、患者の83%を男性が占め、年齢別でも30―39歳の男性が最も多かった。また、病型別では早期顕症梅毒(?期)が46%、無症候梅毒が31%を占めた。推定感染経路では、同性間の性的接触の割合が42%で最も多く、異性間も38%を占めた。・・・以下略。

エイズの感染拡大ではなく「梅毒(スピロヘータ・パリダ Spirochaeta pallida)」の患者が急増していると云うのである。5月16日に政府が進める「ディスコ復興(復活?)支援」とディスコにまつわる事件「早稲田大学主催のサークル「スーパーフリー事件」(多数の女子大生が酒を飲まされ被害を拡大させた)が1988年から2003年まで継続的に発生している。」について、大阪市長 橋下徹(日本維新の会。28日に石原慎太郎とは分裂。)が早稲田大学在学中が一致していると書いた訳であるから、「スーパーフリー事件」が梅毒患者の増加に関係しているのかもしれない。しかし、それ以上に《梅毒患者の増加》と云う問題の起源は『シベリア出兵の問題』と一対なのである。日本の「シベリア出兵」で現地で梅毒に感染する兵士が爆発的に増加して、帰国後に梅毒感染で死亡する兵士が増加する訳である。この『シベリア出兵における梅毒患者の爆発的な増加』問題を解決する為に、大阪市長 橋下徹(日本維新の会代表)が米国と沖縄に推奨し、国内に向けてはその制度の“正当性”を言葉強く繰り返し叫ぶ『従軍慰安婦制度の正当性』に辿り着く訳である。つまり、大阪市長 橋下徹は明治期に創設された大日本帝国陸海軍による世界覇権主義の戦争ー朝鮮・台湾への派遣から統合へ、そして日清・日露戦争(1894年8月~1895年4月ー1904年2月~1905年8月)から、第1次世界大戦(1914年8月~1918年11月)からシベリア出兵(1918年8月~1922年8月)から15年戦争「満州事変(1931年9月~1934年3月)から日中戦争(1937年7月~1945年8月)から太平洋戦争(1941年12月8日~1945年8月)」ーを肯定している訳である。その分岐点は「シベリア出兵」であり、それに伴う<梅毒患者の蔓延からくる性の防波堤として、組織化された「従軍慰安婦の制度化」>となる。大阪市長 橋下徹(日本維新の会代表)は「シベリア出兵」と云う大日本帝国陸海軍の軍事力による覇権行動を「従軍慰安婦制度」と共に賞賛・奨励している訳である。
しかし、ここに一つの疑問が発生するのである。それは大日本帝国陸海軍の「シベリア出兵」では、地元の一般女性を橋下徹大阪市長が犯した「スーパーフリー事件」と同じ手口でした為に、梅毒患者が増加した訳であるが、「梅毒」と云う言葉の起源は、中国から渡来した病気と云う意味を込めて「梅の毒」と呼ぶ訳である。イギリスでは「梅毒をフランス病」と呼び、フランスでは「イギリス病」とお互いの国名で「梅毒」を呼び合っている。徳川家康も「梅毒」で死亡する将兵を見て来たので、とりわけ女性との接触には気を使っていたと云われているが、その数からして「英雄色を好む」喩えにあるほどに多い。「梅毒」を明治・大正・昭和期の文学や学校では「花柳病」と呼んでいて、売春・買春の世界で流行して、そこから一般生活に入り込んで行くといった経路である。「シベリア」では地元の女性が感染者だったと云うよりは、日本兵が持ち込んだ「花柳病=梅毒」が、シベリアの地元女性患者を増やし、そこに日本兵が関係を持つと云う循環経路であろう。スペインやポルトガルやイギリスなどのスパイスを求めた大航海時代には、太平洋や南アメリカ大陸で梅毒・淋病などの性病が蔓延して、少数民族が絶滅したとまで云われてる訳である。つまり、文明人と呼ばれる民族程、多くの病原菌を保有している「確信犯的な保菌者」と云う訳である。そう云った訳で、シベリアの地元女性を梅毒患者にして多数死亡させた事実は隠して、大日本帝国陸海軍の御用達の売春業者を育成したのが「従軍慰安婦制度」であり、それを今でも政治家で弁護士資格を持つ橋下徹大阪市長は推薦・奨励している。橋下徹の細君は夫の行状には寛大だし、関西の女性有権者らは、「従軍慰安婦制度」が再び法制度化される危険性を感じていないから、橋下徹大阪市長の「スーパーフリー事件」の全容を追及しない上に、シベリアの女性達にたいする当時の人権回復にも関心がない訳である。それじゃ!同じ歴史の繰り返しを日本人は望んでいる訳だ。従軍慰安婦問題と早稲田大学の「スーパーフリー事件」の根っ子は同じだと報道されてもね。
だから、日本テレビ系(NNN) 5月23日(金)19時23分配信として【去年のエイズ発症484人 過去最多に】と云う次のニュースが報道された訳である。
<去年1年間でエイズを発症した人が、過去最多だったことがわかった。エイズ動向委員会によると、去年1年間で新たにエイズを発症した人は484人で、過去最多だったことがわかった。去年、新たにエイズウイルス(HIV)の感染が報告された人数を加えると、1590人に上り、こちらも過去最多だという。エイズを発症した人は特に50歳以上で増えており、感染する人の年齢層の広がりが見られるという。また、23日の委員会では、保健所や医療機関での検査ではなく、自分で採取した血液を郵送して行う民間の検査が去年1年間で約7万4000件に上り、5年前の約1.5倍に増えていることが報告された。委員会では、民間検査はあくまで補足的なもので、保健所などで検査を行うよう呼びかけた。>
それでは、文部科学省と司法機関の職員について強制的に検査する必要がある。そして何よりも“ノーパンシャブシャブ”漬けの厚生労働省の職員が最初に検査対象者である。ア!歴史的に云うのだから、防衛省職員は全員だ。上田清司埼玉県知事なら、埼玉県営パークタウン武蔵野団地3号棟9階の“下野秀典”に組事務所を提供して「ラ・ブーム(ら・ぶーむ)」とかの売春所や覚醒剤(逮捕起訴)販売に甚大な協力をしているから、橋下徹大阪市長(元府知事)とおなじ「従軍慰安婦所(売春所)」には援助を惜しまない訳である。しかも、県営団地の住民は自分達の団地自治会費金3,600万円の背任横領事件の揉み消しに暴力団を活用していたのである。どこの県市営の公営団地でも創価学会員や共産党援助者らが巣食い、そこが暴力団と繋がる図式は同じである。良識のある人間は、団地住民から無言電話や有る事無い事を云われた挙げ句に、家賃を10倍に値上げされて、強制執行されて全財産を奪われる訳である。県営団地では毎月80~100人程度の家賃滞納者がいるが、それは、強制執行されるどころか、県知事から表彰され、風呂場を新しくしてくれる上に、シャワーの調子が悪いと云われれば、全て新品に交換までしてくれるサービスが受けられるのである。それも、全額が税金で賄われる訳である。畳は昔の全部が藁で床が出来、井草は日本製品という今ではお目にかかれない畳まで新調してくれるのである。
さて、上記で述べた“日本維新の会”共同代表 橋下徹大阪市長と石原慎太郎が袂を分かったと云うのでるが、一匹狼を自認しながら、常に根無し草として行動する石原慎太郎が一カ所に永く留まる筈のないことは、前にも書いた通りで、中川派を継承していれば、政治家として首相を目指せたかもしれないが、逆に自民党から潰されていた可能性があったから、石原慎太郎は三文作家の顔に戻り、再び政治家になり、辞任してチック症候群になり病気治療の為に、再び政治家に戻り、やっと「日本維新の会の共同代表」に落ち着いたと思ったら、又離党して江田憲司の「結いの党(ゆいのとう)」に接近して、結いの党は民主党の山本モナの股潜りをした“細野豪志”の股に挟まれると云うから、石原慎太郎の云っている<「自主憲法制定を容認しない政党と一緒になることはできない。別の行動を取る」と述べ、維新の分党を提案した。橋下氏も了承したという。会談後、石原氏が記者団に明らかにした。 5月29日(時事通信)>と云うことは永遠に不可能となる。それでは、石原慎太郎の精神病理は『自己愛性パーソナリティ障害ーーありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害ーー』である。常に人の注目を浴びていないと居場所が消失してしまうと云う恐怖が大きいのである。それに女性が石原裕次郎の影をダブルのなら、それは戦後世代が石原裕次郎の幻影を自己愛性パーソナリティ障害として同時に共有している事になる。またそれは、戦中と戦後は連続して存在しているのに、断絶していると感じさせる不連続性を強調した教育の結果である。
だから、石原慎太郎の云う仏教は島地黙雷・島地大等・暁烏敏等々の云う戦争仏教である。
ここで少し話題を変えて、“ネルケ無方禅師”の云うヨーロッパ系のキリスト教文化と、その意味合いが少し違う「アメリカのキリスト教」について、書かれた書籍『トップ記事は、月に人類発見!
ー19世紀、アメリカ新聞戦争ー(マシュー・グッドマン Martthew Goodman 柏書房株式会社刊、2014年4月10日 第1刷発行)を紹介すると、要旨は「キリスト教会が、科学を完全否定して、聖書に書かれたことを事実としてアメリカ国民に強制してたという時代に、真っ向から立ち向かった<ペニー・ペーパー『サン』の主筆“リチャード・アダムズ・ロック”の話し>である。“リチャード・アダムズ・ロック”は晩年には不遇に終わるのは、キリスト教の圧力が強力だったと云うことなのだろう。月にアポロ宇宙船を送り出したNASAがあり、キリスト教の尖兵アメリカ合衆国が存在する訳である。“リチャード・アダムズ・ロック”の時代とオバマ大統領の今日と表向きは違う様に見えるアメリカだが、内在するキリスト教団の影響は強い訳である。ハリウッド映画でも宗教色は消されているのは、アメリカはキリスト教の尖兵だと云う事になる。福音派なのか?モルモン教なんか?そこらは信仰の自由があるのかもしれないが?

『トップ記事は、月に人類発見!』
ー19世紀、アメリカ新聞戦争ー
Martthew Goodman
2014年4月10日 第1刷発行
著 者:マシュー・グッドマン
訳 者:杉田七重
発行者:富澤凡子
発行所:柏書房株式会社
東京都文京区本郷2ー15ー13(〒113ー0033)
電話(03) 38301-1894
組版:高橋克行 金井紅美
印刷・製本:中央精版印刷印刷株式会社
装丁・本文デザイン:宮川和夫事務所
THE SUN AND THE MOON
The Remarkable True Account of Hoaxers, Showmen, Dueling Journalists,
and Lunar Man-Bars in Nineteenth-Century New York
by Martthew Goodman
『太陽と月ーーでっちあげ屋、興行師、決闘する新聞記者、月に暮らすコウモリ人間、19世紀ニューヨークのびっくり仰天の実話』
「ペニー・ペーパー」1部6セント
エドガー・アラン・ポー
リチャード・アダムズ・ロック・・記事の作者
ベンジャミン・ディ『サン』を創刊
ロバート・マシューズ「予言者マシアス」と称し、詐欺教団の祖傷害事件

417頁
科学的探究心は「山の空気のように自由で、天から下りてくる光のように範囲を規定されない」とロックは主張するが、かつてガリレオの口を封じ、コペルニクスの画期的な理論を世界から長きにわたって排除するのに使われた宗教の足かせが、この19世紀においても依然として科学を抑え込んでいた。ロック自身、そのために貴重な研究を道半ばにしてなげうった地質学者を何人か知っている。「なぜなら彼らには、このまま研究を続ければ、我々が暮らす地球は1日24時間として6日間でできあがったのではないという、とんでもない事実へ導かれるとわかっていたからだ」。ロックは彼らに研究をあきらめさせまいとして、「その6日間のうち3日間がすぎてから、月や太陽といった他の天体がつくられたと書かれているのだから、そもそもこれは、現代とは時間の尺度が違うのだ」と指摘する。聖書では「日」という単位をつけているが、おそらくこれは、どんな単位でも表現できない、とても大きな時間だとして、もしそうなら地球の本当の年齢を突き止めたこの新発見は、結局は神学の証言と一致するのではないかと。しかしロックが説得しても、地質学者たちはやはり研究を断念した。「既に想像派哲学が優勢になっていることの証であるーーそれは今、神学緒派の丘に説教壇を置いて立ち、誰がどんな反対を唱えようと、高いところからことごとくつぶしていくのである」
宗教が社会を支配し、知的生活に害を及ぼす傾向は、何もアメリカ合衆国で起きた新しい現象ではなく、ロックだけがそれに気づいているわけでもなかった。1835年、ロックが月の連載を手がけたのと同じ年、アレクシ・ド・トクヴィルが、後の世に名作と謳われる『アメリカの民主政治』の第1巻を出版した。「キリスト教はなんの障害もなく、万民から賛同を受けている」と、全国津々浦々まで自ら旅をしてきたアメリカについて、彼はそう言っている。「そのため人間の魂には、目の前に広がっている無限の地が見えず、きっとどこかに越えることのできない障壁があって、そこで宇宙は終わっているのだと、折々に感じるだけだ。その考えをがらりと変える何かが現れない限り、人間の魂は、原始的な仮説を受け入れことを強いられ、その大胆不適な概念を、あらゆる物事にあてはめなくてはならず、その結果、何も知らされずに進歩の道をふさがれるのである」。世紀の変わり目から30年の間、アメリカは「第2次大覚醒」の機運に支配されてきた。これは全国的に広がった信仰復興運動で、理神論(一般に異端として捉えられており、建国の父の多くがこの餌食になったと思われていた)この痕跡を一掃して、代わりに、もっと厳しく、福音主義的色彩の強いキリスト教を据えることを意味した。コネティカットにまで迫っていたそれをバーナムは間近で見て恐れながら大人になり、ついにはコネティカットを出てニューヨークへ逃げたのだった(編集主幹を務めていた22歳のとき、バーナムは教会の怒りをかって収監され、ロックもやはり編集主幹を務めていた25歳のとき同じ理由で職を失った)。アメリカ国内のほぼすべての大学が教会によって組織され、教会の支援を受け、キャンパスのいたる所から合理主義と自由思考の勢力が抹消された。科学の授業では「自然神学」の教えに従って指導が行われ、その教えの根本には、科学は神学のはしためとして奉仕するもので、1番の目的は神の究極の意図に光を当てることだとする考えがあった。大学から始まって、研究室や天文台でも、神学は支配権をふりかざし、聖書に描かれた王のように、印刷された科学論文のほぼすべてから、貢ぎ物を受け取っていた。
リチャード・アダムズ・ロックもまた地質学に夢中になったひとりだがーー「この偉大で格別魅力的な学問」と言っているーーとりわけ強い関心をもっていたのは天文学だった。宗教的な天文学の仕事をロックはよく知っていたーー月で発見されたという至高の景色についても読んだことがあり、月の要塞に関する報告や、シベリアに巨大な幾何学模様をつくって月世界人と意思疎通を図る計画についても知っていた。そして、そういうおとぎ話のような天文学が信用されること自体に、いつも驚きと恐怖を感じていた。ロックはこれを「似非天文学」と呼び、敬虔さと信心で自らを飾りたてており、そのまま野放しにしておけば、未来永劫にわたって、若い世代の精神に悪影響を与えると考えた。
そこで彼は『ニュー・ワールド』の読者に向って、月に関する最新の発見を書くにいたった経緯の説明に入る。

  というわけで、自分はこの大きな問題に一石を投じることにした。
  それでデヴィッドの功績に張り合えると思ったわけではない。
  ただ自分は、想像力たくましく信心家ぶった人々の支配を受けず、
  彼らに侮蔑(ぶべつ)を感じていることを表明したいだけだった。
  それでこちらも威厳のある科学の仮面をつけて彼らの真似をし、
  いかにもありそうな科学読み物を仕立てたのである。

宗教的な天文学者らは、月に生命体が存在すると主張しており、ロックも月に生命体を描いた。月での生活は楽園の暮しと同じだと彼らは唱えているので、彼もそのようにした。神の創造物である生物を各種登場させーーヒトコウモリ、一角獣、二足歩行のビーバーといったものーーそれらすべてが調和のもとに暮しているように描いたのだ。宗教的な天文学者らは、月世界人はまだ、キリスト教の教えを実践するにはいたっていないかもしれないが、宗教心はあるとしており、これについてもロックはその考えをなぞり、サファイヤや金でできた月の神殿を話に組み込んだ。さらに、宗教的な天文学者の真似をして、語り口まで敬虔さを装い、科学的にはまったくナンセンスなことも登場人物に言わせたーーこのプロセスを通じてロックは、そういう思想のすべてが、完全なでっちあげであることを暴露しようとしたと言う。
つまり「天文学的大発見」は人を騙す目的ではなく、風刺のつもりで書かれたのだった。
1838年、トマス・ディックはまた新たに宗教的な天文学に関する著書を出版して人気を呼んだ。タイトルは『天体の景色、あるいは露わになった天体系の驚異と、それが浮き彫りにする神の御技と世界の複数性』。この著作の中の「月世界人」の項に、尋常(じんじょう)ではない脚注がついていてーーほぼ1ページが丸々割かれているーー、そこでディックは今回初めて、リチャード・アダムズ・ロックの月の連載に反応している。「今より少し前、この問題に関して、作り事を並べた記事が世間一般公開された・・・この詐欺を行ったのはニューヨークのある若者で、科学知識が豊富だとうぬぼれている彼は、今回のたくらみが成功したことに、ひとり得意がっているかもしれない」と書き、さらに厳しい筆致で次のように続けている。

  しかし、これだけは覚えておいてほしい。このような詐欺行為は、
  「真実の神」である造物主の法の冒瀆(ぼうとく)にあたる。
  造物主の法は「内面の真実」を求めるゆえに、このような作り事
  を故意に世に送り出した者は、嘘つきペテン師の仲間に分類される
  べきなのだ。「真実の法」を、弄(もてあそ)ぶことは一瞬たりと
  も許されない。万物がこの法を遵守(じゅんしゅ)することで、
  知の体系と神の王座の基盤が揺るがずにいられるのだ。悪行のほと
  んどは、あらゆる世界に暮らすあらゆる住民が、混乱と窮状の中に
  投げ出され、宇宙は混沌に姿を変える。

脚注の最後の文は、リチャード・アダムズ・ロック本人にあてて書かれているーー「わたしがここで触れたつくり話の筆者が、何年か後に成長して知恵をつけ、このような行いが愚かであり、不道徳だということに気づくように願うばかりだ」。
リチャード・アダムズ・ロックはその許せない脚注を含め、『天体の景色』を読んでおり、そもそも真実というものは、などとトマス・ディックが大上段に構えて自分に説教していることに激怒した。「ディック博士から、このようなお説教を賜る資格が自分にあるとは到底思えない」と、ロックは『ニュー・ワールド』への手紙で書いている。「幼稚な憶測と信心家ぶった言葉をこねくりまわす学派において、教授と崇められるお方から、これだけのお言葉を賜るのは、わたしをはじめ、風刺に身をやつす人間には、身に余る光栄と言わねばなるまい」。
・・・中略・・・実際の自然界には、驚くほど多様な機能があふれている。その中のひとつを取り上げて、「善」あるいは「罪」の産物であるなどと勝手に決めつけをするのはーー科学的推理として話しにならないのはもちろんのことーー傲慢の極みだとロックは断言している。・・・中略・・・p426
1835年12月5日、シックスペニー・ペーパーの『イブニング・スター』が、サウスカロライナ州知事、ジョージ・マクダフィが出した教書について報道した。その中で知事は、奴隷制が「神の法に合致し、旧約聖書並びに新約聖書で明確に許可されている」と主張した。読者が知事の主張に共鳴すると踏んだモーデイ・マヌエル・ノアは、「この点について、読者の意見や議論を聞かせてもらいたい」と提案した。その3日後、リチャード・アダムズ・ロックは『サン』に持論を展開した。これは「世論への明白な糾弾」だと考えたロックは、その論評に「ミスター・ノアの要求に応じる」という大見出しをつけた。
知事の主張は「不当の極み」だとロックは非難する。なぜなら奴隷制は、「恐ろしく不公平で、邪悪な制度」であって、聖書に何が書いてあろうと絶対に許されるべきものではないからだ。「我々はここでどうしても言わずにはいられない」として、ロックは次のように書いている。

  旧約聖書が、その書かれた時代、当時の人々に向って奴隷制を許可
  して、いたからといって、こういった問題に関する許可が、今日に
  おいても有効であるとは言えない。旧約聖書が一夫多妻制を奨励し、
  新約聖書が天与の王を認めていながら、どちらも今日においては
  無効になっているのと同じだ。天から霊感を与えられた信徒たちは
  おしなべて聖書に書かれていることは絶対だと信じている。
  しかし、政府の様式や政治形態は時代によって変わるもので、宗教
  上の諸儀式でさえ、その権威は束の間であって、未来永劫守るべき
  ものとしてつくられたのではないことは、ほぼあらゆる注釈者が認
  めている。

植民地住民が、「王を敬え」という聖パウロの命令を守っていたら、独立宣言はどうなっていたか?ロックは読者にそれを問う。キリストの教えを世界に伝えた初期の信徒が「服従」を要求したという話は、聖書の中にあまり見かけない。それ以外の部分についてはどうか。・・・中略・・・
聖書には流血の例が山ほどあり、「神の命令としてそれをはっきり書いている」。従って解釈の仕方によっては、「南部の奴隷所有者に対して、黒人が権利を取り戻すことを正当化することができ、黒人たちが忍従を脱して、奴隷所有者をひとり残らず、その妻や幼い子どもたちもひっくるめて皆殺しにするまでは、神の怒りは永遠に解けないと考えることもできるのだ」。
モーデイ・マヌエル・ノアに対するロックの反応は、聖書をつかって奴隷制を正当化することを否定しただけではない。そこからさらに輪を広げて、融通の利かない聖書解釈の危険性に警鐘を鳴らし、社会に宗教を適用するのにも範囲があることに気づいて欲しいと訴えたのだ。

p213『サン』
1835年8月21日(金)「天文学的大発見」
8月25日「サー・ジョン・ハーシェル法学博士、王立協会フェローが、最近喜望峰でなした天文学的大発見」ー月に生物が存在することを確信し、・・・

2014年6月1日(日)
【2年目の6月】
今から2年前の5月〜6月に所沢市立図書館本館(航空公園内)3階資料室で<ヒルグレイス武蔵野(〒359ー1112 埼玉県所沢市泉町1848ー1)に居住する70人の部下を持つ、自称ジャーナリスト(新聞記者)を名乗る男>から、暴言と暴行を受けた。男は「ここ(資料室)でパソコンを使うな」と言いがかりを付けて来た。「パソコン専用席だ」と答えると、グダグダと絡んで来て、暫く口論すると、今度は、「ソーリー ソーリー」と云いながら、駐輪場まで来て足蹴りを数回繰り返し、榎本東州を歩行不能にしたが、どうせ司法警察職員の回し者だから被害届けも出せない訳である。この自称ジャーナリストの男は『てめいは、明治の人間化!そんな事を調べるんじゃねぇーよ』と恫喝した訳である。全くの初対面のこの男が、いきなりやって来て、榎本東州に対して「明治期の事を調べている」と知っているのだから、明らかに司法機関の回し者である。それぐらいに、日本のジャーナリストは国民に対して、暴言と暴行を繰り返している証左がここにある。この自称ジャーナリストの云っていた「ソーリーは“Sorry”ではなく、逆襲的に打って出るの“Sally”か、傷つける“Sully”」だった事は確かな訳である。それは、日本のジャーナリスト文化の根底に『自己愛性パーソナリティ障害症候群』が根強く存在しているからである。

 榎本 東州 記

この記事は第66章 日本と世界の架け橋 禅僧“ネルケ無方”その13に投稿されました タグ: . このパーマリンクをブックマークする。 コメントとトラックバックは現在受け付けていません。