広島戦災児育成所から福島原発溶解のその先は?パート1

広島戦災児育成所から福島原発溶解のその先は?パート1

日々、世界覇権と云う舞台で、繰広げられる各国政府の「政治家の歌舞伎」は、時々刻々とシナリオが書き直され、新たなシナリオで「政治劇」を演じ続けている。それは、各国の為政者らが世界覇権の妄想に取りつかれ、自国の企業と、自国民の生活基盤(労働政策)の安定から、自国経済の崩壊を防ぎながら、権力基盤の維持とバランスをとりつつ、政治家の自己保身に悪戦苦闘している訳だ。そこには、政治的な理念や善悪は存在しない。自己保身の為に、自国の経済と農工業・雇用政策バランスといった融合しがたい課題を抱えて、「人為的災害」を避ける道を模索している。この政治劇の解決策の一つが軍事行動ではあるが、その軍事行動として「リビアやパキスタンの如き軍事作戦」について報道されたが、この「不可視な戦争」報道からして、ある意味「世界の政治家の歌舞伎」として、興味深いものがある。それを例えて云えば、「超高層ビル間に張られた高張力ワイヤーの上を歩く、綱渡り外交」だから“肝が凍る”思いで国民は見ている訳である。日本の無軌道な言動に対して、世界中の為政者が忍耐強いのには驚嘆すべきものがあるね。「忍耐」と云う言葉は日本語かと思ったら、外国の特許だった訳ですね。それなら、民主党の影の首相 原不二子(相馬雪香の子、県政の神 尾崎行雄の血筋。)の云う「言霊(ことだま)の日本語」の世界特許は何か?と云えば「駄々をこねる。駄々っ子」となる訳だね。この「スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族の駄々っ子ぶり」を象徴したニュースが、5月17日から18日にかけて流された。<内閣官房参与 平田オリザ(劇作家)と、首相補佐官 細野豪志の高濃度放射能汚染水の太平洋への放流問答である。平田オリザは「米政府からの強い要請で(海に)流れた」と云い。細野豪志は「日本側の判断。米国からの要請は一切ない」と述べた。>ニュースでは「低濃度の放射性物質を含む汚染水」だが、炉心溶解(メルトダウン)していた訳だから、到底「低濃度は虚偽」である。明らかに「高濃度の放射性物質汚染水」である。さらに問題点はまだある、それは「韓国で内閣官房参与 平田オリザ」は発言した点にある。何故?平田オリザは、日本にいた時に「米国に強要されて汚染水放流した」と発言しなかったのか?韓国から日本に向けて発言した理由である。その答えは、5月4日のニュース、<キリスト模してはりつけで死亡=自殺かそれとも他殺?-韓国―時事通信 5月4日(水)15時36分配信:【ソウル4日AFP=時事】韓国警察が4日明らかにしたところによると、聞慶市で1日、58歳のタクシー運転手がキリストの死を模して十字架にかかって死んでいるのが発見された。男性は狂信的なキリスト教信者だったというが、警察は自殺、他殺の両面で捜査を進めている。>どうして、この「韓国版 ゴルゴダの丘」が、内閣官房参与 平田オリザの発言に繋がるのか?それは、同日5月4日のニュース<日産自がNY市「イエローキャブ」納入契約を受注、総額10億ドル――ロイター 5月4日(水)5時24分配信:[ニューヨーク3日ロイター] 日産自動車<7201.T>は、「イエローキャブ」の愛称で親しまれるニューヨーク市のタクシーの新型車両納入契約を受注した。ブルームバーグ市長が3日、明らかにした。契約期間は10年で、市当局によると受注総額は約10億ドル。同契約はニューヨーク市のタクシー16車種を統一するもので、日産は「NV200」ミニバンをタクシー仕様に改良して納入する。>
と繋がり、そして、5月23日の亀井静香の発言<小沢(一郎民主党)元代表を「座敷牢(ろう)から出すべきだ。」党内が結束しないで野党に協力を求めても乗るわけがない。(4月6日以来)>に繋がる訳である。この一連の日米間の外交問題の議題は、日本政府がアメリカに対して神風攻撃した「2001年9月11日 WTC同時多発テロ(イスラム過激派 タリバンは表向きの犯人。計画と実行は日本の内閣情報調査局(室)」の賠償問題である。
それが『支払期間が10年で、賠償総額は約10億ドルという支払であり、表向き名目が日産自動車<7201.T>の、「イエローキャブ」』と云う訳である。この「賠償総額約10億ドル」にもう一桁ついて「賠償総額約100億ドル」と見るのが妥当な賠償額だろう。問題は日本政府に支払能力があるのか?と云う点である。日本政府に支払う気持ちは微塵もないことが問題なのである。あくまでも、9・11テロはタリバンだと云う筋書き(シナリオ)を変える心算がないからであるし、アメリカ政府も国内事情も絡んで、オサマ・ビンラディン主犯を変えられない訳だ。さて、日本政府に支払う気持ちがないので、そこで日本政府が考え出した月面宙返り級のウルトラCは、「賠償金の捻出を韓国政府に懇願した」のである。実に日本政府の姑息な外交手口にはビックリさせられるね。日本政府に成り代わって<韓国政府が9・11同時多発テロの賠償金を支払ったら、韓国も日本と共犯だったと、アメリカに誤解されるリスクを覚悟した上で、支払うことになったので、韓国政府の自己犠牲を、意味して「韓国版 ゴルゴダの丘」のニュースを流した訳だ>この韓国政府が、日本政府の身代わりとなって、アメリカ政府に「賠償総額約100億ドル」の賠償金を支払うといった外交工作をしたのが、忍者外交の寝業師 小沢一郎(民主党元代表)だから、それを承知している亀井静香は「小沢一郎元代表を、座敷牢(ろう)から出すべきだ。」と連呼しているわけである。元々、小沢一郎は「座敷牢」などには入っていないのに、どうして座敷牢に幽閉されていると、亀井静香の眼には写るのだろうか?今回、「日韓の忍者外交」に活躍した小沢一郎を黒子から、政治家としての表舞台に戻したい事情があるからだろうね。亀井静香の言葉を借りれば、「日韓関係における小沢一郎の忍者外交は、座敷牢外交」と云う事になる。韓国の李明博大統領も小沢一郎と二人で「雑居房の座敷牢に入って、外交問題を議論していた」それなら、誰にも覗き見されなかったのだから、忍者外交と云う訳である。小沢一郎の問題は、政治資金だけではなくして、「韓国・北朝鮮」との不可視な繋がりにこそ問題にされるべき政治スキャンダルである。こそが、大政翼賛会・自民党・旧社会党・日本共産党・京都府の釈迦白足袋族などが集う、魑魅魍魎な世界なのである。当然、「日本製原爆製造と完成、そして広島・長崎での地上起爆」にも連なる人間関係が色濃い訳である。この「日韓問題」と解く糸口が意外なところにあったのである。それが、タイトルの「広島戦災児育成所と福島原発溶解のその先は?」である。『広島戦災児育成所』に関する記述は、戦後の中国新聞社の記事に数行書かれている程度である。1945年8月6日 広島市内(広島大本営=広島城=グランドゼロ)で「地上起爆された人類史上第1号の原子爆弾」によって数多くの子供達が被爆し、両親、兄弟、親族を失い孤児となったのである。それは、今回の東日本大震災でも孤児と孤老問題が発生している状況にも似ているし、政府が無策なのも酷似している訳である。問題をそこまで拡大する前に、『広島戦災児育成所』の活動に関する、唯一の資料と云えるのが『菊池女子大学生』と云う小冊子なのである。この小冊子の日記形式の著作物を、読んで驚くのは「内容がない」と云う一言に尽きることである。この「内容のない」小冊子の何処が重要な点であるかと云えば、それは、1946年から1947年までの間に「戦災孤児問題」一つとっても、<大日本帝國政府(現日本政府)が如何に「無能」だったか>が分かるし、大日本帝國参謀本部が立案した「1945年8月からの文化戦争・経済戦争・似非平和外交」の萌芽が随所に読み取れるからである。それは、小冊子『菊池女子大学生』に登場する人間関係から、今日の「東日本大震災・福島原発の炉心溶解」に至る過程が、如実に浮かび上がってくるからである。その原因は「天皇一族・京都府下釈迦白足袋族が支配する社会構造に起因しているからに他ならないからである」世界でも類例がない匪賊らが、司法・立法・行政権の裁量を乱用し、世界中でテロ活動を無軌道に行っているのである。この匪賊らが支配する国家を「法治国家」と命名したのが、匪賊ら自身なのだから、国民は「大本営政府にいつまでも翻弄され続けている」のである。2011年6月6日に問題人物の枝野幸男 官房長官が記者会見で「大連立に向け、協議の行方が大きな焦点」だと云いだした。この話の起点は、5月24日の憲政会館で行われた<合同誕生会>という奇妙な政治集会である。その主役は「民主党の小沢一郎元代表(69)と渡部恒三最高顧問(79)主催者が前原誠司前外相」の3馬鹿連である。この<合同誕生会>とは、小沢一郎 民主党元幹事長が画策した「韓国経由でのアメリカへの9・11賠償問題解決」に対する慰労会でしかない。実に政治の世界では舞台控室が本舞台なのだから、国民は緞帳が上がって粉おしろいに塗れた「小沢一郎・渡辺恒三・前原誠司・菅直人・枝野幸男・細野豪志・・・」の大根演技を辛抱強く見ているのは、国民が檻の中に入れられて、シベリア抑留生活しているからである。それを、実感として感じられない位に国民の精神状態は、自閉しているのである。と云うか日本政府によって自閉状態に追い込まれているのである。国民を自閉症候群に追い込んだ、政府側のメディア担当代表者<腐れ芸人の北野武が、「超思考」なる書籍>を書店に並べている。北野武こそが、出口鉄城と組んで、オウム真理教団を巨大化させた張本人だから、北野武の云う「超思考」とはオウム真理教の救済事業即ち「ポア(無差別大量殺戮)」の指導書である。政府が宣伝して書店で売る訳だから、誰も取り締まれないのである。東電でも自衛隊でも山口組でもフランスの外人部隊でも何でも構わないなから<北野武を福島原発の溶解した燃料集合体に投げ込んでくれ>。そうすれば、ロシア政府(ソ連=スターリン)が“シベリア抑留を解除”したのではなく、大本営作戦本部が日本人の抑留を解除したと同じ様に、北野武の日本人のオウム化政策が止まる訳である。さて、シベリア抑留解除を決めたのは、麻生太郎元首相の妻 千賀子の父「鈴木善幸元首相(戦前・戦中は社会党=現民主党)」と大本営参謀の「瀬島龍三」と帝国海軍の全将官らである。だから、先の「韓国政府の自己犠牲的な、9・11賠償支払いとしての日産自動車のイエローキャブ問題」には、小沢一郎以外に麻生太郎や鳩山由紀夫や谷垣禎一自民党党首も関係しているのだから、6月6日の「大連立の記者会見」は緞帳が上がって、舞台演出が完了したとい程度の意味である。だから、6月1日の党首討論で菅直人は「谷垣総理」と意図的に発言のである。菅直人政権が退陣しても、大連合政権の議論の中から、<鰻(ウナギ)は出てこない、出てきて泥鰌(ドジョウ)程度だ。それを、長生きしたオオサンショウウオが出てきたのなら、それは、戦争末期の鈴木貫太郎内閣と同じとなる。>さて、菅直人の「谷垣総理」発言で思い出すのが、小池百合子議員である。何故なら、菅直人の発言を笑顔で受け止めていたからである。小池百合子と云えば「カイロ大学」である。そこで、5月16日のニュースで、<【カイロ共同】16日付のサウジアラビア紙アラブ・ニューズなどによると、同国初の国立の総合女子大「ヌーラ・ビント・アブドルラハマン王女大学」が15日開校し、首都リヤド郊外のキャンパスで式典が行われた。同紙は、最終的に約5万人が学ぶ「世界最大」の女子大になるとしている。・・・同大学の創設は、教育改革を進めるアブドラ国王が提唱。総工費は約53億ドル(約4300億円)で、15の学部があり、薬学、医学、経営学、コンピューターサイエンスなども学ぶことができる。
2011/05/17 08:31 【共同通信】>このサウジアラビアの国立女子大学の創設の裏にも日本の政治的な謀略の香りがするのは、考え過ぎだろうか?しかし、小沢一郎が韓国への政治的な影響力を持つに至った理由は、朝鮮総督府時代からの韓国の名門女子大学「淑明女子大学」が大きく影響しているからである。この「淑明女子大学」と今回の「ヌーラ・ビント・アブドルラハマン王女大学」の設立形態が酷似しているから、このサウジアラビアの国立女子大学の創設には日本政府が深く関与していると見るのが一般的である。何故なら
「2008年6月14・15日にサウジアラビア王国大使館(本国政府から通達)で行 われた、世界献血デー(ランチタイムには献血参加者にサウジアラビア料理を無料提供する。現実には材料不足とかで、ヤクルトが1本程度)」と言う摩訶不思議な事件をご記憶の方も多い筈である。イスラム教圏では「献血をしない。豚肉を食べない。」が世界献血デーには賛同したという事件である。献血とは日赤であり、731部隊のみどり十字であり、日本製原爆であるから、日本政府のサウジアラビア捕り込み戦略は、日本に対して「恒久的な石油資源の確保と引き換えに、原爆製造施設(原子力発電)の建設」と云うのは現在でも変らない訳だから、先の「ヌーラ・ビント・アブドルラハマン王女大学」は羊頭狗肉で、大学の骨子は「原子物理学者の教育・養成機関」である。サウジアラビアの王族は「核兵器の所有に執着している」。それは、イスラエルについで、中東地域での経済・政治・軍事的優位を誇示する目的であることは容易に想像できる。その核兵器(原子力産業)技術を日本が提供することは、サウジアラビアと日本の利害関係が一致する事になる訳である。イスラム教徒は「豚肉は食べないが、日本人の腐った性根は食べる」訳である。ならばイスラム教徒ではなくして、「釈迦白足袋族(仏教徒)」に改宗すべきだね。イスラム教圏のキリスト教徒が主宰する日本国内の“キリスト教会”では「祈りの最後にアーメンと云わずに、“アラー”」と祈る訳だから、日本の神仏混合(習合)的な面もある訳である。(2009年10月に“アラー”とした聖書は回収された様である?)キリスト教の聖地“バチカン市国”は金と色に塗れ、仏教国のタイでは僧侶のエイズが蔓延し、耆那教(ジャイナ教)の聖地インドでは日本製の「鈴木自動車」を買いに走り、ユニオンカーバイド(実体はドイツ バイエルン州の企業体、代表的なのはBMW社)化学汚染されたマッディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパールでは、今後百年以上は「人畜は立ち入り禁止」である。それは、今回の福島原発と同じである。しかし、日本の報道機関はロシアの“チェルノブイリシンドローム”ばかりを強調して、メキシコから始まったインフルエンザから、放射能による汚染水・土壌汚染・大気汚染から、ユニオンカーバードによる大気・水質・土壌までの汚染問題を総合的に議論しないで、日本人は世界で最も優れた民族だと報道したがるのは、ドイツ民族と同じ「民族優生学」から来ている訳である。確かに“スメラノミクニの民族”は優秀である。6月6日に警視庁捜査2課と大塚署に詐欺罪(推定被害額8,000万円)で逮捕された「ドン・キホーテの法務担当で、元同社の常務取締役 稲村角雄」と云う事件の主犯は、東京都品川区豊町4丁目の東照寺国際参禅道場 住職夫婦 出口鉄城・由美子である。2004年に「ドン・キホーテ」で頻発した店舗火災の主犯も出口鉄城・由美子夫婦の仕業である。予め犯人を用意しておいて、事件をおこし後で「用意しておいた犯人」を司法警察職員に引き渡して、出口鉄城夫婦だけが「甘い汁」を吸って肥えて行く訳である。共犯者は勿論、司法警察職員らである。この図式は出口鉄城・由美子夫婦が劇場型犯罪にデビューした<よど号ハイジャック事件・東アジア反日武装戦線 狼・連合赤軍・・・>から青物横丁青酸コーラー事件、豊田商事事件、グリコ・森永事件日航123便爆発墜落事件からオウム真理教団武装テロ、L&G・円天・・・・まで今日まで続く手口である。今回の「ドン・キホーテ 法務担当詐欺事件」を見ると、ロス疑惑の「三浦和義」にも酷似している。それは、三浦和義が青年時代に他人の家を放火しておいて、自分が消防に通報して「消防署から表彰されて、自分は善人の標本です」と云った言動に出口鉄城・由美子夫婦の言動が酷似しているからである。出口鉄城・由美子夫婦は確かに「優秀」でしょ!「司法警察職員だから善人」と云う訳だ。更に6月7日の芸能人 山口もえの夫“尾関茂雄”の風俗営業法違反での逮捕と云う事件も出口鉄城・由美子夫婦の劇場型犯罪である。国会議員は全員!東照寺国際参禅道場の法務担当 出口鉄城(中央大学法学部 夜間卒―駿河台)に脅迫されて、枕を高くして眠れないのである。この睡眠不足を抱えて、「政党の大連合軍」などで逃げ切るのだから、可也の寝不足だね。だから、福島原発が今も融解し続けている訳である。寝不足の原因を除去できないのだから、再び原発は燃えだすのは必定である。もしかしたら政権交代劇の最中に過去におきた関東大震災級の「北奥丹後を震源とした巨大地震{1927年(昭2)3月7日18時27分、マグニチュード7.6震央地名京都府北部}」が発生して、原発銀座と云われている福井県内の原発が1基の例外もなく、溶解(シンドローム)して、自衛隊も各国政府の軍隊も支援できなくなり、福井県・京都府・大阪府・兵庫県・広島県まで放射能汚染で農水産物は全滅し、日本人は遠からずして日本民族は自滅の道を選ぶ訳だ。ここで何故?北丹後巨大地震と云うのかと云えば、鹿児島県出身の地震学者 今村明恒(いまむら あきつね)の関東大震災の発生を予知した地震学から推測(84年間も静かに地震エネルギーを溜めている地域)できるし、誰が云ったかは別にして「天災は忘れて頃にやってくる」訳であり、関東大震災は裕仁天皇の婚儀でごたごたしたときに発生している訳だから、今回の状況も其処まで酷似している。橋本徹 大阪市長?の大阪遷都には大賛成である。北丹後地震(奥丹後震災)が仮りに発生したとすれば、大阪府が壊滅して日本の中心はなくなるからである。政治家の皆さんはそれを望んで、国民を度外しして自己保身にあくせくしながら、築地の料亭で芸者の膝枕で寝ていれば良いさ。さて、東日本大震災も長期にわたりエネルギーを溜めて込んで、今回大きく動いた訳だから、北丹後巨大地震の発生の予測問題は、東日本大震災と同じであり、又、そこは「広島戦災児育成所」から<三菱重工業 二宮寛の日本サッカー協会から、亀屋万年堂の引地良一会長の自殺、淑明女子大学から朝鮮併合問題から朝鮮総督府設立から台湾総督設立(後藤新平)から、インドネシアの日本併合政策から、大日本帝国主義者らの第1次世界大戦の敗戦国ドイツの<ドイツ軍教育隊(捕虜)による「日本の科学主義工業」化政策>まで連綿と続くのである。それは、平戸・長崎オランダ商館と云う現在で云う江戸幕府の外務省問題までは軽く繋がるのである。そこが「広島戦災児育成所」と云う徳川幕府時代から幕府が檀家の「京都府 浄土真宗 東西本願寺派と、東京都の築地本願寺=門徒宗」が夢見る世界覇権の鉄城なのである。其処は、又「善行の鉄城」でもある。さて、「スメラノミクニ=日本=釈迦白足袋族」に関する解決するべき問題点は、無数にある訳だが、決断すべき事は「天皇制と檀家制度の完全なる廃止。文部科学省の廃省。厚生労働省の解体。独立行政法人への監査・査察。司法制度の解体」とやるべき課題は無数だが、「なせばなる」の“アラブのナセル(ナーセル)大統領”の如くに不退転の決意があれば、現在の日本の政治家の如くに「政党の大連合(赤信号みんなで渡れば怖くない方式)」ではたいした仕事は出来ないのでる。日本の政治家「男子の本懐」などと城山三郎の政治小説を便所で、女性秘書と抱き合いながら読むのが関の山である。だから、再び政治家は国民を犠牲にして、自分たちは敵前逃亡する筈である。国民は満洲棄民とロシアに抑留されてお終いである。満鉄も関東軍も日本国民の生活など微塵も考えていない訳である。だから「政党の大連合」を声高に叫ぶ不可視の政治が続くのである。“アラブのナセル(ナーセル)大統領”を手本にしているのが、サウジアラビアの知的な障害がある王族らの、原子力産業崇拝(核兵器保有)主義である。核兵器保有は日本の上杉鷹山の「生せは精神」とセットで輸入する魂胆である。中東のバランスは正に原爆級である。それでは、本道に戻して、【広島戦災児育成所】について、述べることにする。小冊子【広島戦災児育成所】は、1946年当時、広島女専の女子大学生「菊池み津子さん」が書き記した戦災孤児を保護・養育した養護施設の日記である。編著者は養育所の所長“山下義信”という浄土真宗の僧侶であるが、全編を通して読んでみると、果たしてこの小冊子は1946年当時に「菊池み津子さん」が書き残した日記なのか?と云う疑問が沸いてくるのである。まずタイトルのつけ方が理解出来ないのである。タイトルに【広島戦災児育成所】がないのである。この小冊子のタイトルは【菊池女子大学生】なのである。これでは、アダルト本かと見紛うのである。中身は「広島戦災児育成所の日記」だから、タイトルには「広島 育成所」の2単語が最低でも入らないと内容が分からないのでる。一番分かり易いのは「広島戦災児育成所の記録若しくは日記」であり、「広島戦災児育成所奮闘記」なら女子大学生時代のイメージがあるかもしれない。タイトルが【菊池女子大学生】では時代背景も内容も、読者には理解できないのである。そこで、不思議なことは、編著者の所長である「山下義信」と云う人物である。この「広島戦災児育成所」の敷地は公用地の払い下げである。建物も建設資金は不明である。また十分といえないが、運営資金も広島県と広島市が負担している訳だから、当然の事として「広島戦災児育成所の活動記録と帳簿」が存在しなければならないのである。1946年という食糧難(飢餓状態)と物資不足(服・靴・紙など)の中、京都府の浄土宗本山から資金援助が在った様だが、それでも、広島県と広島市には収支報告書がある筈である。この全てが不足している1946年の時代に、記録を録する紙すら無いのに、どうして記録に拘るのか?と皆さんは疑問に感じるかもしれないが、そのことが、今日の日本サッカー協会の人事に繋がってくるのだから、この「広島戦災児育成所の活動日誌と収支報告書の存在」は重要な問題なのである。それは、又【菊池女子大学生】の著者が本人なのか?または別人なのか?という問題を解決する“鍵”だからである。小冊子【菊池女子大学生】が発行されたのは、著者とされる菊池み津子さんの死後20年たった『1967年(昭和42)4月1日』であるのは何故か?菊池み津子さんにも親族や友人は居た筈だから、少なくとも、親族や友人達が追悼文を寄せて当然だが、その事に関する文章は一行も書かれていないのは何故か?編著者を名乗る「山下義信」はタイトルを『広島戦災児育成所としないで、菊池女子大学生』とする位に、菊池み津子女史に思い入れがある割りには「菊池み津子」の存在感がないのは何故か?小冊子【菊池女子大学生】の本文中には97名の人物が登場しているのにもかかわらず、登場人物の一人として、菊池み津子さんに対する追悼文が誰も寄稿していないのである。編著者を名乗る「山下義信」は、菊池み津子さんとの「約を果たした」というのであれば、その功績とを讃えるべく、当時の関係者に序文の寄せ書きを依頼すべきであるが、その努力をした痕跡はない。編著者を名乗る「山下義信」が全編を通して云っている事は一つ『自己犠牲(献身的な行動)』を提唱しているのである。
それを、本編の中の教条文「十二礼」が端的に語っているのである。そうみてくると、【菊池女子大学生】とは、『浄土真宗の経典本(お経本)で、国民に対して献身的な自己犠牲を美化している』と云う内容なのである。だから、編著者を名乗る「山下義信」はタイトルを【広島戦災児育成所】の文言を排斥して【菊池女子大学生】とした訳である。浄土真宗の教本程度の厚みの小冊子として編集したのである。そして、宗教的教本のタイトルが【広島戦災児育成所】では経典のタイトルには不似合いだと考えたからである。総合して読めば<小冊子【菊池女子大学生】>の著者は編著者を名乗る「山下義信」が書いた“浄土真宗の経典”として読むと全体の内容がスッキリする訳である。97名の証言者が居て、語っているのは「広島戦災児育成所の所長 山下義信に対する美辞麗句ばかり」なのも頷けるのである。兎に角、小冊子【菊池女子大学生】には完全無欠の善人間しか登場してこないのである。正に善行の哲学書である。だから、関係者の多くが死去した20年後に発行したのである。それでは、広島県の戦災資料として無価値かと云うと決してそうではない所が、この<小冊子【菊池女子大学生】>の面白い所である。それは、今日の「善行国家 日本」という社会構造を寸分の狂いもなく映し出している「鏡」だからである。砂漠の砂の中から金塊より価値のある、古代遺跡を発掘した感すらあるのである。それは、「97名の登場人物」隠されていたのである。明治期から破竹の勢いで世界覇権に乗り出した「善人国家 日本」の縮図が<浄土真宗の経典【菊池女子大学生】の97名>に凝縮されている訳である。そう云った意味で、下手な歴史小説家より浄土真宗の僧侶の虚実とり混ぜた<浄土真宗の経典【菊池女子大学生】>を全国の図書館に常設すべきである。また、それを著者の「山下義信」も望んで居た筈である。しかし、その逆に「山下義信」には深い魂胆が在ったのである。それは浄土真宗の親鸞が書いたと云われる「歎異抄」の様に門外不出として、山下義信は、浄土真宗中興の祖として名前を後世に残したかったという魂胆を見逃してはならないのである。宗教家というのは弁護士と同じくらいに「人間の屑」である。弁護士が人間の屑なら、クリントン国務長官もオバマ大統領も枝野幸男官房長官も○○議員も人間の屑かと云うと、その通りですとしか答えられない訳である。それでは「宗教家」は如何か?と聞かれれば、世界中の宗教家は一人の例外もなく「人間の屑」である。ダライ・ラマもローマ法王などその代表選手である。日本の宗教家は如何か?と聞かれれば、全部「詐欺師」である。科学者の猿真似をして「宇宙論」を唱えたり、医学論を持ち出したりして、説教する始末である。逆にインドやチベット密教の仏典を科学論として唱える“スティーヴン・ホーキング”なる科学者が「天国と地獄論」を云って物議をかもしている。ブラックホールの存在を唱えたインド人物理学者の“スブラマニアン・チャンドラセカール(1910年10月19日- 1995年8月21日)”の宗教観て何?耆那教(ジャイナ教)徒なのか?拝火教徒だったのだろうか?どちらにしてもノーベル賞級の頭脳らしいが、1984年に自国「マッディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパール」の土壌汚染では、アメリカにいて加害者側に居たのだから、インド人も屑だね。だから、“チャンドラセカール一族”は今後百年以上はインドに「立ち入り禁止」の国籍剥奪である。そんなインド人を尻目にドイツ人は生真面目だね。大阪城公園でホームレス座禅をして、「座禅はこうです」と云いながら、“安泰寺の雪下ろし”をしていたら、今や時の人で、広島県の専門僧堂「安泰寺」で世界中の人を相手に、座禅の指導をしている。それが、<季刊誌「考える人」2011年春号(2011年4月4日発売)、B5判280頁、定価1,400円>の表紙を飾っている『ネルケ無方 命を噛み締める修行 安泰寺の“禅プラクティス”』と云う訳である。小沢一郎元民主党幹事長もフランス人系日本人の“滝川クリステル”と、月刊誌「ゲーテ(幻冬舎)、2010年1月23日発売号」の表紙で鼻の下を長くしている姿は実に無様な“サンショウウオ”である。最も小沢一郎は高野山のスイス人僧“クルト・厳蔵”の方を頼みにしていたから、ドイツに疎いが韓国には強い訳である。だから、菅直人政権の次は『小沢一郎首相の内閣』である。東京都品川区豊町4丁目 東照寺国際参禅道場の住職兼法務担当 出口鉄城の次女 出口元美(日本大学 芸術学部卒)の嘘が「胃袋が宇宙」ならインド人の少女みたいに、ブラックホールを信じて自殺することはない訳だから。出口鉄城の戸籍上の子供でも鉄城には酷似して禅問答だけは一人前でよかったね。確か?このドイツ人禅僧“ネルケ無方”は澤木興道(日露戦争で下を一部無くした猛者で、駒澤大学にも居たかと思うが?)の孫弟子位に当たる筈で、長野県の小諸城でホームレス禅僧だった「草笛禅師 横山祖道(宮城県生まれ)」と同じ事をしている訳である。横山祖道は寺に住まわずに「アパート住い」で終わった筈である。だから、曹洞宗の僧籍は剥奪されていなければならないが、詳細は不明だ。ドイツ人なら頭に主イエス・キリストを頭に描いて座禅している訳である。それは、原田祖岳の弟子 愛宮真備神父(ラーサル神父、ポーランド系ドイツ人、上智大学名誉教授)と同じだからである。だから『命を噛み締める修行』などと“能書きを垂れている”と榎本東州には見えるのだが、この『命を噛み締める修行』に曹洞宗の全僧侶が納得して賛同するくらいだから、やはり曹洞宗は陸で溺れているから、何が何だか分からないで騒いでいる訳である。この「陸で溺れて」と書いたら、2009年4月ごろに、外国では陸に巨大な水槽を置いて、その中で会議する姿を報道し、日本では「陸で水死―胆振管内安平町のゴルフ場「ル・ペタウゴルフ」で2日、札幌市北区の主婦合掌貴恵(が っしょうたかえ)さん(38)がフェアウエーの陥没した穴に転落して死亡した」と云いだす始末である。陸で水を飲み過ぎた訳でも、何でもない「陸で溺れる」だけである。そんな事も分からない位に脳天壊了なのが、曹洞宗の永平寺・総持寺の管主になって威張っているから、早く文部科学省は<曹洞宗の宗教法人としての活動停止命令と即時解散の行政代執行>をすべきである。勿論、神社本庁は即刻活動停止、神職制度の廃止、鳥居の撤去を勧告すべきである。それが、1945年にアメリカ・イギリス。オーストラリアなどの連合諸国が出来なった最後の終戦処理作業である。日本人は旧内務省時代からの意識から抜け出ることが出来ないから、精神的呪縛から未だ開放されないで、トヨタ自動車やホンダ技研や日産自動車に雇用されて、放射能汚染された食物を食べさせられても「文句も云えない状態」なのである。その原因は、農地解放でも公職追放でも出来なかった「宗教廃止」である。そこが未だに「国民精神総動員法」という号令をかけているからである。ドイツやスイス人僧なら少しは「国民精神総動員法」の呪縛がないかと思ったら、外国人僧ほど、この国民精神総動員法に汚染されているのである。放射能汚染から逃げて、本国に帰っても「日本民族の国民精神総動員法汚染」からは逃げられないのである。それ程、悪性の思想なのは「日本の宗教が、オウム真理教を培養した天皇制・神道・浄土真宗・禅宗など宗教に起因しているからである」諸外国は帰国した人間の思想検査をすべきである。その名称は「日本教典の洗脳度数」とでも呼べばいい。勿論、日本から帰国した人物は空港で「エイズ検査」を必ず受けさせるべきである。
【菊池女子大学生】は一般的には入手できないので、この小冊子を「歎異抄」の様に知らない人の為に、その特徴的な文面を次に掲載する。参考の足しになれば幸いである。

菊池女子大学生
昭和42年4月1日発行
編注者:山下義信
    広島市千田町3丁目11-28
発行所:善行会
全191ページ

菊池み津子
本籍地:宮崎県都城市甲斐元町3940-1番地
生年月日:大正14年7月29日
両 親: 菊池泉の4女として生れる。
学 歴: 公立京城女学校卒、昭和18年県立広島女子専門学校(現広島女子大学)国語科入学。昭和21年7月3学生の時、級友数名とともに、7月7日から9月19日までの75日間。広島戦災児育成所に奉仕。
昭和22年秋、23歳にて死去。

p1~p3
菊池み津子さん
 本籍は宮崎県都城市甲斐元町3940-1番地、大正14年7月29日菊池泉の4女として生を享け、官吏の父に従うて朝鮮におもむき、公立京城女学校を卒業、昭和18年県立広島女子専門学校(現広島女子大学)昭和21年7月3学年のとき、級友数名とともに広島戦災児育成所に奉仕して下さった。7月7日から9月19日まで、実に75日間、夏休暇の全部を投じて下さった。私は、教養高き女専学生の諸嬢によって、原爆の子らに、ふく郁とした白菊の香りを期待したのであった。果たして、それは美事に遂げられたのであった。菊池さんは女専の第1任者であった。学生代表であった。優秀なる女子大学生であった。容姿といい、教養といい、態度といい何一つ申分のない、理想の女性、女子大学生であった。広島女子大に保存するその学籍簿は学業平均95点、成績「特」と記されてあるのが何よりの証拠である。加えて嬢を評価するに、思慮周到、情操廉潔(じょうそう れんけつ)、意志強固にして、統率力に富むとある。ああ一輪の名花、ここ原子砂漠に咲きたまいしは、そもいかなる因縁(えにし)ぞや。今この手記を拝するに、正しく観音菩薩の示現(じげん)にあらずして何ぞや。
この手記は、10年後20年後に読ませていただく故、忌憚(きたん)なく記しておかれたいと、お願いしたものである。その約にしたがい、改めてこれを拝読されば、ただ涙の合掌のほかはない。昭和22年秋、菊池み津子さんは、その短い生涯を閉じられた。芳紀僅かに23才、子らに尽くされた純愛の過労に斃(たお)れたもうたのであった。南無菊池観世音菩薩のおん前に、一切の子供らの名において、一切の母の名において、菊池さんと同じ心の浄(きょ)らかな若き女性の方々と共に、そして多くの菊池さんをめざす女子大学生の皆さまと共に、つつしんで純白の花束を捧げたいと思う。
永遠の愛の栄えを信じて―――――。
「日記」は原文のまま、「小題」及び「注」は編者が注記した。
昭和42年春4月               山 下 義 信

p5~p7
全身全霊をささげて
○7月7日(日曜日)晴後雨
午後1時寮*1を出て、2時半育成所*2に到着、いよいよ今日からここの人となる。香川さん*3、先着の江崎さん、お手伝いに来ていた大矢さんと岸田さんが迎えてくださる。子供たちも喜んで迎えてくれるようであった。あたたかい息吹きが感じられてうれしかった。食堂にて、所長先生*4迫間先生にご挨拶申し上げて、蚊帳の作業をする。夕方履歴書を書き、所長先生より辞令を頂く。そして「お手伝いに来たのではなく、所員としてお願いしたのである。しっかり育成所の人として働いて頂きたい。80名の子供には、親がなく家がない。われわれは親をあたえ、家をあたえてゆかなければならぬ。“父となれ、母となれ”一番むつかしいことであるが、努力によってなり切ろうと、日々刻々につとめるのである。利己的な要領よさで、上役の前だけを上手にすごすものは、子供を殺す大悪魔である。ただ真実の愛をもって、ひたすら進んで頂きたい。」とおさとしていただく。深く感銘したのであった。親のない子に親をあたえる、なんと困難なお仕事であろう。しかも、困難を押し切って、すすんでゆかれる聖なるお姿、そして深い深いお慈悲、大いなる悲願の下に、ただひたすらすすまれるご努力の、偉大さに胸をうたれる。道は、きびしく、はげしい。全身全霊をささげて、努力させて頂こうと、お誓いする。夜は、第2児童室*5に、池崎さん*6と一しよに、休ませていただく。藤田君*7が夜中に起上って、ねむれないという。弱そうな子である。お手洗いにつれて行ってねかせる。だまって、しばらくして、ねむったようであった。
「注」
1、寮    女専寄宿舎寮  広島市宇品町
2、育成所  広島戦災児育成所、佐伯郡五日市町皆賀、昭和20年1月開設、
原爆孤児の育成所。
3、香川さん   香川良子(女専学生)
  江崎さん   江崎定子(同   )
  大矢さん   大矢寛子(同   )
岸田さん   岸田和子(同   )
4、所長先生   山下義信
  迫間先生   迫間唯彦(26)大東文化学院卒、応召、復員、育成所総務担任、
和歌山児童課長、経済部歴任。
5、第2児童室  本館西側の洋室、6~7才女児の居室
6、池崎さん   池崎定子(女専学生)
7、藤田君    藤田泰雄(6)、広島市舟入本町にて被爆、その他不明。

p10~p13
お仕事をいただいた
7月9日(火曜日)晴
迫間先生にお仕事を頂いた。芳名録*1と恵贈録(けいそうろく)の4月1日以後の報告書をつくるのである。金額順にするのであるが、大きな紙を持ってきて、どうしたものかと、縦に線を引き、横に線を引きして考えているところへ、森先生がいらして、
「カードを作ってすればいい」
と教えて下さった。そばから迫間先生が、
「とうとう教えられましたな、菊池さんがどうするかと見ていたが」と申された。
私に思いつきがないことは、よく分かっている。発展性のないこと、創造性のないことは、悲しいものである。カードを作って、帳簿の頁数(ページすう)と合わせて見ると、カードが5枚足りないのであった。カードが漏れているのである。ここにも注意の不足を考えさせられながら、非常に面倒で、息ずまりそうであったが、カードを分類して、その上、一枚一枚帳簿と合わせていった。夕方までかかった。早くせねばならぬと、あせればあせるほど、気は重くなっていった。夕方までに、しらべたところによると、カードは落ちていなかった。私には原因が分からなかった。そして次にはすぐ困ってしまった。夜も続けてみる。どうしても分からなかった。9時頃、第1室*2へ帰る。仕事が運ばないので、憂うつで憂うつで仕方がない。子供は、皆やすらかにねむっていた。子供の中へとびこんでゆく機会は、私が自分でつくらなねばならない。とにかく、立派に早く仕事のできる能力がほしい。今日午後、三好重夫御夫婦*3が御来所。育成所設立に当たっては、はかりがたいご援助を賜わった由。所長先生お留守の折にて、惜しいことであった。大事なお客様がお見えになったのに、お接待がなっていないとお叱りをうけた。随分と、皆さん気をつけているようであるが、それでもまだ足りないと申されるのである。常に、高い理想をもつ時、現在は足りない行き届かない。
「注」
1、芳名録  育成所は金品の寄付募集をしなかった、持参のもののみ受納、その金額を芳名録に記入。
恵贈録  同物品と氏名を恵贈録に記入。
報告書  寄附者にその使途及び事業内容を報告。
2、第1室  本館右側の広い洋室、乳幼児の保育室、第1児童室と称す。
3、三好重夫  安佐郡戸山村出身、育成所開設に尽力、現公企体金融公庫総裁。

p19~p20
○7月12日(金曜日)晴
6枚の原紙がきれたので、朝から印刷にかかる。中々調子の出ないもので、1,800枚の印刷は、相当に苦痛であった。手に豆ができて痛くなった。香川さんが、手伝って下さるのがうれしかった。今日も瀬ノ口さんがお見えになる。橋羽先生*1のお料理を召し上がられて、あれだけの手際のものを、いつも続けられるお腕前に、驚いていられた。
子供達、夕食後泳ぎにいって、帰ってくる姿は、素晴しかった。畑君が先頭に立ち、
あとは2列に並んで、愛国行進曲を歌いつつ、足並みをそろえて、やがて門に入ってくる。みんな、キンツリに赤線の入った帽子のおそろい。畑君は、日の丸の扇をひろげて、音頭をとる。門を入って立ちどまるかと思えば、裸隊(はだかたい)はどんどんすすむ。もうゆきあたるのにとハラハラすれば、事務室に突進し、一しきり軍艦マーチを歌いつつ、机のまわりを、ぐるぐる行進し、あげくのはては、
「大本営発表、帝国陸海軍航空部隊はーーー」と、かつての夢をくりかえす。
大本営発表がすめば、一同大歓声をあげて、それぞれの家庭へ帰っていった。
あとは、ケロリとしている。みている私は楽しかった。そして悲しくなった。元気のよさ、溌剌の姿を、親御さん方みせたかった。
「注」
1、橋羽先生 橋羽ミドリ(40)保健婦、広島市健康指導所婦長、被爆、育成所栄養主任。

p21~p34
「十二礼」を訳す
7月15日(月曜日) 晴
      「十二礼(らい)」*1を訳し奉る
   真心(まごころ)もて、西方(さいほう)に在(ましま)す阿弥陀仏を、
   帰命(きみょう)礼(らい)し奉る。
天と人とに恭敬(くぎょう)せらるる
              仏 阿弥陀仏は
彼(か)の妙(たえ)なる安楽国にありて
量(はか)りなき仏子(ほとけご)を随え給(たも)う。
    願わくば、すべての衆生と共に、
    安楽国に 往生(おうじょう)せんことを。

金色(こんじき)の身は山王(さんのう)のごとく
寂静(しずか)なる行は象に歩(あゆみ)に似たり
両(ふた)つの眼(まなこ)は青蓮華(しょうれんげ)にまがう
故にわれ弥陀仏(みだぶつ)を礼し奉る
    願わくば、すべての衆生と共に、
    安楽国に 往生(おうじょう)せんことを。

面(かほばせ)は浄(きょ)らかにして満月(まんげつ)の如(ごと)く
威(みいず) は千日(せんじつ)の光(ひかり)に似たり
み声は天の鼓(つづみ)にまがう
故にわれ弥陀仏(みだぶつ)を礼し奉る。
    願わくば、すべての衆生と共に、
    安楽国に 往生(おうじょう)せんことを。

観音(かんのん)は冠(かんむり)の中に弥陀(みだ)を頂(いただ)き
種々(しゅじゅ)に身(み)を荘厳(しょうごん)して
魔(ま)と邪(じゃ)との憍慢(さょうまん)を砕(くだ)き給(たも)う
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。
    願わくば、すべての衆生と共に、
    安楽国に 往生(おうじょう)せんことを。

比(たぐ)いなく垢(けがれ)なき大いなる
もろもろの徳(とく)は浄(きょ)きこと大空の如し
自在(じざい)に人皆(ひと みな)を利益(りやく)し給う
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

名十方(みなじつぽう)に聞えざるところなければ
菩薩(ぼさつ)も魔(ま)も常に讃(ほ)めたとう
本願の力(ちから)は衆生(しゅじょう)を摂受(しょうじゅ)したもう
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

黄金(こがね)の池より蓮華(れんげ)を生(しょう)ず
これ善根(ぜんこん)より成(な)れる高座(たかみくら)ぞ
かの座上(ざじょう)に山王(さんおう)のごとくいます
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

十方(じつぽう)の仏(ほとけ)の子らは
神通(じんずう)を現(あら)わして安楽に往(ゆ)き
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

一切(いっさい)は無常(むじょう)にして又我(また が)なし
水の中の月、雷(いなずま)影の如しと
大衆(ひとみな)にたいして説法(せっぽう)したもう
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

量(はか)りなき方便(ほうべん)より成(な)れる
浄土(じょうど)には苦(く)と悪(あ)しき友(とも)はあらじ
往生(おうじょう)するもの必(かなら)ず菩薩(さとり)を退(しりぞ)かず
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

彼(か)の仏国(ぶっこく)には悪(あく)の名なく
また悪道(あくどう)にかえる怖(おそ)れもなし
大衆(ひとみな)は真心(まごころ)もてかの仏を敬(うやま)う
故にわれ弥陀仏を礼し奉る。

辺(はて)なき善は海(うみ)の如(ごと)き
弥陀の功徳(くどく)はわれを称(たた)えて
清浄(しょうじょう)の善を今身(いま み)得(え)たり
それを衆生(ひとびと)にほどこして
彼の国に生れなん。
    願わくば、すべての人みなももに、
    安楽国に 往生(おうじょう)せんことを。

所長先生に「昼寝をせよ昼寝をせよ」と申されて、本堂にてやすませていただく。さして忙しくもしないで、やすませていただくのは、心苦しいと、重ねがさね思う。2時半から、中庭に席を設けて、所長先生お講義の「歎異抄(たんにしょう)」*2をお伺いする。所長先生をとりかこんで、仏のお慈悲を、つつしみうけたまいつつ、お互いの教養を高めるつどいは、たのしい。学校では聞けない、生命の通うお講義であった。育成所の発展の、一つの基礎をここに見るのである。
「注」
1、「十二礼」 竜樹菩薩造、阿弥陀仏の荘厳功徳を讃嘆するげ。
2、「歎異しょう」 親鸞聖人の法話を集め、他力信仰の極致をしめす。

p43~p46
7月19日(金曜日) 晴 風強し
270通の報告書を、今日、発送する。丸10日かかった。男の先生方は、こんなお仕事を、一晩でなさるという。とにかく、忙しい育成所にあって、同一の仕事を10日もかかるのは、全く、情けないことであった。仕事ができるように、学校で教育してくれたらいいと、うらめしい気がした。でもうれしかった。今日は、開所記念日*1である。3時ごろから、実践女学校*2に、小椅子を借りに行ったり、お庭に水をまいたりして準備する。6時に、式ならびに会食がはじまる。久保田先生、田中先生、枝正氏*3御臨席枝正氏の祝辞並びに育成所の歴史について、述べられたことに感激する。所長先生が、50のお年で、志願*4なされたこと。そして9月に復員なされてから、殆んど壊れた家(おうち)や、ひどい火傷の奥様や、子供さんをかえりみられることなく、直ちに、育成所開設について、ご奮斗なされた由。お慈悲の深さ、御意思の、遠大にして強きことに、心うたれる。有難いことである。勿体ないことである。
おぢいちゃんは、
「育成所は、沢山の人々の善意によって発展してゆくのであるから、みんなは、その好意を忘れずに、しっかり勉強して、世のためにつくすように」
とおさとしがある。
御立派だと思う。尊いと思う。子供達も、何ものかを、心に決心するようであった。きっときっと、立派に伸びて行ってくれることを、信ずるのであった。
お食事後、音楽会、「郭公(ほととぎす)」「夏はきぬ」など合唱する。林田先生や迫間先生、斗桝先生もお歌いになる。おぢいちゃんは、とうとうお歌いにならなかった。岡田君は、上手である。おぢいちゃんの御得をたたえ、おぢいちゃんの御(み)おしえを肝に銘じつつ、勿体ないように御馳走をいただいてたのしむこの会は、まことに美しく、感激深いものであった。
「注」
1、開所記念日  20年11月開設 翌年1月19日開所式、毎月19日を記念日に、楽しき集いを催す。
2、実践女学校  鈴ヶ峯実践女学校、現鈴ヶ峯学園。
3、久保田先生  久保田護城(38)賀茂郡福富町久芳 正覚寺住職、育成所の協力者。
  田 中先生  小児科女医、嘱託医
  枝 正先生  枝正 勲一(40)広島県労政課、労働監督署長、本所経理事務に奉仕。
4、志 願    広島県青年指導の内命直ちに志願、従軍、9月復員、育成所を創設。

p56~p58
桜井先生のお幸せ
7月25日(木曜日)晴
所長先生のおはなし、桜井先生と云うお方について。
「のう菊池君や、うちの青年は、皆いいじゃろう。皆、高いんしゃ。若い女がそばにいても、そんな意識は、無さそうじゃの。皆、相当教養のある者ばかりだ。裏表なく、汗みどろになって、働いている姿を見てくれ。よう働く。どういものか、女の人は、ああは行かないよ。今度くる桜井君は、それは素晴らしい。若いのに珍しい。存在は、目立たないけれど、桜井君がいるということで、高い香りが、事務室中に、湧いてくる。大学は、法律と経済だから、文科系でありながら、数学がよくできるんじゃ。ラヂオでも、そこらの車のめげたのでもすぐ直している。夕方でも、子供とよう遊ぶ。これだけの職員が、長いこといるが、桜井君の慕われるのには、誰も及ばない。それでも、特に、頭をなでたり、声をかけたりは、可愛げにはせんので。これは、表に見えていて、誰でもが思うていることじゃ。その裏に教養の無い人には見えないえらいところがあるんで。のう松村君それは、責任を重んずるということじゃ。人間は、これが、一番大切じゃ。これがなかったら、人間は駄目だ。まあここにいて、得るところもないだろうと思うけれど、桜井君に接することだけでも、ええことだと思う。あまりよう言うようだが、まあ期待しておいで。」所長先生の御幸せを思い、桜井先生の御幸せを思う。
「注」
1、桜井先生  桜井宏通(23) 九州帝大法科卒 応召、復員、育成所協力に来所。後議員秘書、参議院参事、現筑紫油脂工業KK社長。

p63~p65
昭和21年7月31日(火曜日)晴
(この日記録がないので、当日の炊事日誌をかかげる)
「炊事日誌」橋羽みどり
朝食(幼児17、学童50、職員21、臨時3、計91名)
「材料」米3升、芋粉2升、冬瓜1貫目、イリコ100匁、味噌500匁
「献立」お雑炊
「カロリー」幼児タンパク12.1   カロリー251
      学童タンパク13.1   カロリー281
○昼食(幼児17、学童39、職員18、臨時3、計77名)
「材料」米3升、麦2升、玉ねぎ3貫目、ナスビ2貫目、肉500匁、瓜2貫目、酢5合
「献立」肉玉ねぎとなすび煮、きゅうり酢のもの
「カロリー」幼児タンパク13.5  カロリー419
      学童タンパク23.1  カロリー788
夕食(幼児17、学童48、職員19、臨時2、計86名)
「材料」米3升、麦3升、馬鈴薯5貫目、ナス1貫目、肉500匁、ニシン90匹
「献立」焼肉、じゃが塩煮、焼なす
「カロリー」幼児タンパク17.8   カロリー622
      学童タンパク25.9   カロリー821
「記事」
午後8時半、福岡キャンプ行の学童9名帰る。元気一ぱいで、向うの食事は副食等少なくて不味かったと語る。(橋羽記)
「食糧危機いよいよ深刻の度を加え、米麦の無配給すでに10数日に及ぶ。しかるに、橋羽主任は、早くから今日あるを察し、よく計画し、よく調整し、食いのばしをなしたるために、大いに助かりつつあり、これを思えば、われわれは日々の食事を感謝し、ことに、青年団の寄贈米麦のごとき、真に合掌のほかなし、一段と職務に反省し、努力しなくてはすまないと思う。」(21.7.31 所長記)

p65~p67
自分の無能さを
8月1日(木曜日)晴
畑君と、朝早く、市役所にお使いに出る。松林先生のところ、社会課、学務課、民生課などまわる。
畑君の「復興意見*1」発表のテストを聞く。両親を失える少年が、厳然と立って、「われわれは世界の子供なり、世界文化興隆にために、立上がるのだ」と、高らかに唱える立派さに、涙が出るのであった。思えば偉大なことである。悲壮なことではある。健斗を祈る。
女の、能力のなさ、仕事にたいする緻密性のなさを知る。町内会連盟*2から、1万4千円の現金と、400枚の残りの入場券とを受け取って来た。20円の切符であるが、15円で前売りしているそうである。1万4千円が、何枚分であるかを、しらべないで、唯だまって受取って来ているのである。大いなる欠陥を思って、悲しくなってくる。
事務室に帰って、迫間先生にいわれて、恥しさこの上もないと同時に、自分の無能さを、まのあたり見せられて、たまらない気がするのである。
午後、江崎さんと各務さんが出かけられる。自分も学校にゆきたかったけれど、はや元気がなくて、やめてしまう。
*1「復興意見」発表  8月5日平和復興市民大会、児童代表の畑君が「父も母も焦土の中に生きている、喜びの広島を生み出そう」と訴えた。
*2 町内会連盟  広島市有志の義捐金演芸会、その寄付金。
*3 各務さん  各務昌子(女専学生)

p67~p69
8月2日(金曜日)晴
この頃、子供が野球に熱中しはじめた。今日あたり、午後から夜まで、引きつづき楽しんでいる。暗くなれば*1、蝋燭をともして気分を出してやっている。本当に、たのしんでいる姿であり、先生方にしては、ほんとうに、子供を可愛がっていられる姿と思う。迫間先生、望月先生の、元気いい御様子は、見ているだけでも楽しい。子供と、共にあるということは、実に、この姿であろうと思う。午後より、「所報」*2の原稿をつくる。自分は、この手紙文*3を抜粋して「美しき人情の涙」とする。3時ごろまで、書簡つづり全体に目を通す。手紙文によって、開所当時からの微妙な所内*4に就き、発展の姿を見る。美しき人々の多いことにも、胸をうたれる。下村先生がお留守なので、文ちゃん達*5のお部屋に泊る。
*1 蝋燭をともして   運道具室に子供ら集り野球の話に興ずる。
*2 「所 報」     育成所のできごと、子供達の感想文、職員の意見などプリントにして所内に配る。
*3 手 紙 文     各方面から来た手紙。
*4 微妙なる所内    敷地の一部に疎開者、建物の中に旧軍部の残留者、教育関係は学校に属し、純粋に一体化するまでの経緯。
*5 文ちゃん      杉本文代(5)広島市にて被爆、その他記憶がない。五日市駅前にて保護左眼に負傷。

p73~p75
忘れられぬ日が来る
8月5日(月曜日)晴
久保田先生お見えになる。いろいろ仏様のお荘厳(かぎり)などなされる。お花と、葡萄と買いに、広島まで出る。学生同盟*1に、原稿をもってゆく用事もあったので、学校による。後藤先生*2は、御帰国なされたあとだった。満窪先生*3にお会いする。苦しいこと、それは子供に、思い切って接しられない気のすることを、申し上げる。そして、子供に、捧げられないものが、育成所にいるということは、申しわけない気がするのである。申しわけない申しわけないと思いながら、夕方、帰りつくと、子供が明るい晴着*4をきて、本堂から、かけおりて来た。喜びにみちていた。純粋に喜んでいた。私の胸の中に、喜びが、飛びこんできたようであった。苦しみは、去ったようであった。元気でやろうと思った。
夜は、お通夜。久保田先生、衣を正式におつけになり、導師になられる。荘厳な、胸になつかしさのしみるおつとめであった。法主げい下のお見えになった時の、映画を見る。桜井先生お見えになる。夜ふけて、明日、着ていくという、シャツ、ズボン、上衣類(うわぎるい)にアイロンをかける。
「注」
1、学生同盟  「海外父兄救出学生同盟」、在広男女学生の組織
2、後藤先生   女専国史学教授 現広大教授
3、満窪先生   女専教授、現宮崎工高教授
4、明るい晴着  8月6日(原爆1周忌)に広島供養塔に参拝する子供の服装
5、お通夜    5日の夕、原爆の命日の前夜
6、法主猊下   西本願寺門主 大谷光照師、5月27日来所

p75~p77
○8月6日(火曜日)(原爆の日)晴
  忘れらなぬ日がめぐって来た。
子供達の、お父さん、お母さん、兄弟、そして広島の何十万の方々が、尊い犠牲となられた日である。朝から、胸が重い。子供たちの胸の中は、どんなであろうと思う。7時前に、おぢいちゃんはじめみんな、広島の供養塔に、おまいりする。参拝していると、沢山そばにいられる小母さん方が、さめざめと泣かれて、
「元気で、しっかり、勉強なさいよ。大きくなりなさいよ」と口々にいわれる。
御同情は有難い。
しかし、それは、一時の感激にしかすぎない。子供を育てるものは、感傷的な感激を押へ、強く育てねばならぬ。そして環境の大事なことを、つくづく思わせられる。単なる多くの人々のすむ所には、よりどころはないのである。中国産業展覧会を見る。自主的なものを失うて、ただ、こびるような、上調子な物のみが飾られて、悲しかった。帰途、所長先生より、「君達は、子供に対する愛のまことが少ない、」とおさとしをいただく。申しわけなく思う。迫間先生に申し上げると「いて下さい」と申される。そして、「捨石的な存在になりたいですね」とおっしゃった。派手に子供に接しなければ、つくしているような気がしないのは、私共の考え方が、浅薄であったのである。地味に、小さな仕事を、一つ一つ仕上げてゆけばよい。私共は、捨石となりたいものである。夜石川先生と、昨年8月6日の思い出をかたる財団法人*2の認可が下りる。
「注」
1、供養塔  原爆死者の合同供養塔
2、財団法人 育成所を財団法人にする。

p77~p80
○8月7日(水曜日)晴
(この日、記載されてない。女専学生各務昌子さんの日誌をかかげる)
朝食前(ちょうしょくぜん)に、橋羽先生と子供たち6人は、農村生活*1に出発。
とても張り切って皆行く。これと、間をおかず、迫間、林田両先生は、小谷村へ行かれた。本当に御苦労なことである。明日は島廻りの出発なので、今夜中にと思い、すべてを揃えた。とても時間をとり、おそくなった上、炊事日誌、伝票をつけていたら、12時は過ぎ、今夜寝てしまったら、明朝の早い出発に間に合わなくなるので、伊藤先生と2人徹夜をすることに決めた。寝呆け顔で、日誌、伝票をつけたので、中々数がわからずに、大へん時間を費してしまった。迫間、林先生は、11時過ぎに帰られた。それから風呂。私共2人は、3時頃風呂に入り、「間もなく夜は明ける」と云って、折角のお風呂も、大あわてに、すぐ出て、ご飯を炊き、弁当作りに取りかかる。この次のことは、朝になって、明日記することにする。つくづくと、子供の門出を、賑やかに送るということは、むずかしい。これ位のことでは、ただ弁当を作っただけの、ほんのわずかの喜びに過ぎぬことだろう。しかし、お八つ等も多く持たし、又、始めての島廻り、子供の喜んだところを想像して、こちらが嬉しくなる。無事に帰ってくることを祈りつつ、(―翌日に続く―)徹夜の甲斐あって、無事40名程は出発した。久しぶりに徹夜をしてみた。実に、起きている間は、気分もよいものだ。昼食にかかっていたら、所長先生より「休むように」とのことで、仕方なしに、感謝してひまをいただく。本当に、栄養部のみ休ませていただくことは、心苦しいような気がする。私達は、休ませていただけるとは、夢にも思っていなかったのに、本当に、あらゆる方面に気を配って下さる所長先生に、心より有難く感謝している。お昼寝6時間。実によく寝たものだ。あり寝過ぎたのか、中々頭がはっきりしなかった。夕食の支度にすぐ取りかかる。今日の島廻りは、菊池、江崎さんが行かれた。今頃は、どこの島についていられるか。瀬戸内海の島廻りは、どんなにか、よい景色だろう。私も、もう一度見たいと思う。今日から急に人員は減ったので、何をつくるのも半分位で、一寸見当をつけるのに困る。所内も、がらんとしており、大きな子は少ないので、変な気がした。そして、大きな子がいないと、何となく不便を感ずる。この島廻りで、子供達が船に酔わねばよいが、出発は、まだらくに行ったが、次の幼児の別府行きは、どんなに、急しいことだろうか。
「注」
1、農村生活   橋羽所長の実家にて農村生活。
2、伊藤先生   伊藤芳子(18)県立第1高女卒、元陸軍大佐の娘、保母担任。

p95~p99
8月12日(月曜日)晴
(この日、菊池日記は記載されていない。よってそのころ育成所の職員で討議された、「改善意見」をかかげる。)
    育成所の改善について
機構又は運営上改善すべき事項
学校を別扱いにしてはどうか。
教育と保育とを合体してはどうか。
{(1)とは対照的な意見}
③教育制度を所と一体にするがよい。
{(2)と同意見}
④所のあり方を、もっと家庭的にするがよい。
⑤男子職員も、父としての負担面を、増大してはどうか。
⑥修養会を、盛んに開いてもらいたい。
事務室の改善事項
役所型にならぬようにしてもらいたい。
連絡を、もっともっと緊密にしたらどうか。
もっと潤滑油的存在であって欲しい。
事務室は、いつもキチンを、整美(せいび)していて下さい。
もっと、紳士的衿持(しんしてききんじ)をもっていただきたい。
他人のことを、言わぬようにしていただきたい。
職員生活の改善事項
もっと文化的に生活したい。
もっと、多忙に、奮斗的(ふんとうてき)姿がのぞましい。
時間の余裕を生み出し、身心の休養を図ってはどうか。
精神的に余裕が持ちたい。
職員間の融和が十分ではない。
女子職員間の、小ぜり合いは、絶対に止めていただきたい。
各職員の部屋が、離れているので、疎遠になり易いのではあるまいか。
教育部に希望するところ
以前から見ると、ずっと所と一体的で喜ばしい。更に更に協力を強化していただきたい。
子供の解放ということに、留意していただきたい。
放課後は、家庭的にあるよう注意していただきたい。
当所における特殊教育の結実を、待望してやまない。
保有部に希望するところ
もっと熱情と誠意を、傾けてもらいたい。
利己的排他的(りこてきはいたてき)に、ならないようにしていただきたい。
もっと、わが子のごとく、愛情を注いでもらいたい。
学童も愛していただきたい。
医務室は、単に治療だけでなく、さらに衛生向上に努力してもらいたい。
子供の病状について、その担任母(たんにんぼ)へ、くわしくしらせていただきたい。
栄養部に希望するところ
もっと、清潔にありたきこと。
清潔、整頓につとめていただきたい。
子供本位の献立も、立ててみていただきたい。
勤労部に希望するところ
計画と実施が、いささか粗野である。
もっと、積極的にやってもらいたい。
一般農家(附近の)よりも、先手をうってもらいたい。
一般的感想について
孤児とても、甘えさせ過ぎてはならぬ。
子供の育て方が、温室的である。
何事も、平等にして下さい。
県、市の消極的態度は、憤慨にたえない。
「浮浪児」も、入れたらどうか。
毎日一定の自由時間、月何回かの休養日をつくつたらどうか。
夜を少し、早めに切り上げたらどうか。

p111
戦災児育成所の所歌
8月18日(日曜日)晴
(この日記載がないので、広島戦災児育成所所歌をかかげる)
 広島戦災児育成所所歌
     山本康夫 作詞
     山本 寿 作曲
さだめ同じきはらからと
集ひよる身をまもらられて
みをしえうくるよき子等の
みおやとたのむ慈悲の家
  ここ戦災児育成所
心くぢけず気を折らず
逝きしうらからを亡き友を
朝夕まつりて身を正し
まことをみがくのりの宛(にわ)
わが戦災児育成所
前に清(きょ)けき八幡川(やはたかわ)
近くは高きいつく島
いつくしまれて共々に
手をとりしたしむ愛の園
身よ戦災児育成所
世には父母(ちちはは)おはさねど
  生けるめぐみのいのちにて
  平和の使いと羽ばたかむ
  栄えの日を待つ夢の丘
          ああ戦災児育成所
p112は、五線譜

p113
申されたことを  申されたように
8月19日(月曜日)
   来る27日、財団法人のはじめての会議*1がひらかれる。その準備に昨日から忙しい。今朝は、招待状を発送する準備していたら、出発が遅れてしまった。昨日から。所長先生に、山本寿先生*2に所歌の作曲を、お願いしにゆくようにと、申されていたのであった。お手紙の方も気になるし、それからといって、山本先生のお宅にも早くお伺いせねばならないし、こんな時に、どちらの道をとるのが正しいのか、いろいろ考えてみる。責任においては、早く伺って、早くかえらねばならないことなのである。所長先生に、申されたことを、申されたように実行できないのは、申しわけないことだ。早く出かければよかったと後悔される。山本先生は、お留守であった。奥様に、明るい楽しい歌をと、お願い申し上げておく。帰所3時。開所記念日かたがた、森先生の送別会がとり行なわれた。刻々に努力の瞬間をもつづけながら、月日を送りむかえ、いよいよ発展してゆく姿をみては、尊くうれしい気にうたれる。開所記念日の度に、子供の心も、先生方の心も、新しく緊張される。意義深いことではある。お茶と*3、お花のおけいこの日。
「注」
1、会 議  育成所の評議員会
2、山本寿先生  師範学校音楽教授
3、お茶とお花  女子職員と女の子に毎週お花(斗桝栄吉)お茶(行友芳子)のお稽古

p161~163
人の命である
9月3日(火曜日) 晴時々雨
今日は、いよいよ似島(にのしま)*1の、浮浪児収容所の準備もなり、駅前*2の浮浪児の、入所する日だそうである。望月先生、駅前へ、浅田君外1名(昨日入所せる修平君)をつれて、お手伝いかたがた様子を見にいらっしゃる。遂に浅田君が、落ちつかれなくて去って行く。求めるものの、常にあたえられない子の、かなしさを思う。幼き児、しかも不具にして、身よりなき子、絶対の所をもたず、風にさらされ、波にもまれつつ、求められざるものを尋ねたずねてゆく浮浪児たちのあわれさ。浅田君の顔色は、すぐれない。不安と、充たされざる淋しさとが、その心を、一杯にしめているのであろうと思う。おの子ながら、心やさしく、あたたかきもの、美しきものを、花や絵などの上に、見つめていた子であった。すなおな子であったと思う。似島(にのしま)へ行っても、苦労するに違いない。ただただ幸せを祈って送る。似島学園が、多くの家なき児、親なき児の、あたたかい、救いの神のふところとなればいいと念ずる。楽園へ入る第1歩を「浮浪児狩り」と呼ばれたことは、まことに残念な気がした。人のいのちである。いのちの尊さを知らざるものは、それ自体罪である。今夜も2室へゆく。東北の童話集があったので、それをよんであげようと思っていたが、子供は、それぞれに本を持っていたので、邪魔するのも心なきわざと思い、遠慮する。いつの間にか、子供は、パタパタと、本をとじて、静かな安らかなねむりに入ってゆくのであった。何を夢みるのかしら。思い出は、育成所時代以前に、沢山沢山あるだろう。母ありし日の夢か。
「注」
1、似島浮浪児収容所   旧検疫所跡に広島県社会事業新興連盟が開設。
2、駅 前        広 島 駅。

p163~p166
育てゆく者の責任
○9月4日(水曜日) 晴
午前2時半ごろ、眼がさめて、お手洗いに行く、事務室に灯がともっているので、
勉強させて頂こうと思って、事務室にゆくと、N君がいて、そばに松村先生がいらして、しきりに、お金をかぞえられる。豆の袋が置いてあって、なぐさめにポリポリ食べていられる。N君のいるのが変だと思ったけれど、別に問うこともなく、ノートを開きはじめる頃、松村先生が、仕事をすまされ帰られるので、自分もやめて帰る。大事件の起きた後なのであった。H君が、無断でいなくなったので、職員と子供で、心当たりを探しにでる。私も横山君*1と五日市(電車の)駅に、明るくなるまでいたが何事もなく、やがて岡田君が、帰るように伝えてきてくれた。楽々園*2の入口にいたそうである。最近駅前にいた両君が、事務室のお金を持って、遠いところは行こうと相談の上、H君が先に出て、N君が後からお金を持って出かけるところであった。現金箱は、いつも事務室に置いてあった。鍵はかけられていなかった。黒いジャンパーをきて、歩いているN君の後姿は、ほんとうに愛らしく、この子が悪いことをするとは、夢にも思えないのであったが、帰る途々、涙が出て仕方がなかった。先生方が内々で、善処処置を相談なされ、林田先生が警察へゆかれて、打合わせされたようで、午後警察の方が見え、2人の子供を連れて行こうとされれるのを、お詫びをして、許されるということになった。N君も、H君も、顔色は青ざめていたが、いかくのための手錠の前に、素直に手を出して、一礼したときには、何ともいえぬあわれであった。いとほしかった。子供は許された。そして、これからは、正しく伸びてゆかしめねばならない。子供は、大きくなるのだと思っても、この事実の永久に、失せないことが悲しまれた。夕食後、所長先生より、今日(けふ)の措置と、これからの導き方について、おさとしがあった。「心を鬼にして。懲らしめることの辛さ、子供の一生のために、叱ることの切なさ」を、涙して申された時は、子供の行末についての、御なさけの、広大無辺に泣くばかり。育てゆく者の重且つ大なるをおもわせられるのであった。伊藤先生、斗桝先生の、御心労がいかほどかと、お察しするだに頭が下がる。
「注」
1、横山君   横山憲治(13)弟妹3人と共に入所。
2、楽々園   佐伯郡五日市町、遊園地。

p173~p174
理論のみの空虚さ
9月9日(月曜日)晴
   藤田君が、2ヶ月前に比べ、目立って、肥えてきたようである。元気になって、事務室へも、よく入ってきては、先生方たわむれ、欲しいものなど、どんどん要求する。冬は、こたつに、かじりついていたという。あれだけの傷を見ても、どんなに弱かったかが想像され、さもありなんと思う。不安が多いのに、私は、心配する。物に対する不安なのである。大らかな方へ、むけてやりたいと、思うのである。昨日、夕方来られた、心理学研究にて欧洲をまわってこられたという某氏、今日も又見えられる。世の学者のいうところの、人生論など、しきりに話していられる。理論のみの、空虚さが、しみじみと感じられる。

p183~p185
いよいよ明後日はおいとま
○9月18日(水曜日)晴
  所長先生は、似島へお出かけ。迫間先生は、小谷村へ。
  午前中、高田郡より、国民学校の生徒25人、いろいろお野菜だの作品だの御持参下さる。子供たちの目の前に、学友の来訪、その情の厚きことを、如実に見て、感激も深い様子であった。お忙しい旅程らしく、急いでお立ちになった。午後は、婦人会の方がお二人、奉仕の打合わせにお見えになる。所長奥様、久保田先生(正覚寺住職)つれ立ってお見えになる。久保田先生が「もうあわれんじゃろう思うとった」と申して下され、嬉しかった。あたたかいお言葉ではある。いよいよ明後日は、おいとまをさせていただく。申しわけなさ一杯で、たまらなくなって、本堂にかけのぼると、岡島先生が、お仕事中なので、外から拝んで、亭(ちん)に上ってみる。お掃除のあとで、すがすがしい育成所。あたたかい育成所。夕陽に、子供の健康を祈り、育成所の発展を祈り、おじいちゃんの御壮健を、お祈りするのであった。夜は、お正信げをあげて、後、男子二手に分れて、腕相撲にうち興じる。元気よく、朗らかに、子等はむつぶ。子供は下りて、あと、久保田先生をかこんで、座談会。迫間先生は、とうとうお帰りにならない御様子であった。
*1 高田郡より  高田郡市川国民学校児童。
*2  お正信げ  親鸞聖人「正信念仏げ」

p185~p190
人生の厳粛さがひびく
9月17日(木曜日) 晴
「文学講座」の日。今日は山本先生、はやくよりお見えになる。本堂にて、お茶をさし上げている時に、今度「真樹」という雑誌が出るそうにて、会員になるようにと、おすすめがあった。末ながく、御指導いただけることは、有難いことである。講義は、万葉集の概説から、人麿の歌の鑑賞にと入ってゆく。先生の御所望にて、所歌と、歌謡ひろしまを歌っておきかせする。終了後、迫間先生、林田先生、久保田先生に、草津桜寮*1を見学につれて行っていただく。
  寮長さんは、中々ご熱心な御様子で、玄関に入ると、すぐに大きな声で、今日の作業分担やら、指導やらをしていらした。けれども、何となくお一人のみ、奔命に疲れていらっしゃるような形であった。職員も子供も、ついてゆく風ではなかった。職員には「生きている」という自覚のおすがたが見えなかった。寮全体のつかれたような姿が、お気の毒で、意気の乏しさを感じた。迫間先生と、久保田先生にはぐれて、林田先生と遅れて帰所する。滝岡先生、松林先生、お見えになっていらした。本堂で会議の御様子であった。午後、新聞の切りぬきを整理して、作業に出る。診療室への道路つくりをお手伝いする。砂、石をはこび、両側に芝を植える。斉藤君は、大人のような話をするが、それでいて、無邪気なを、失わないところに、惹かれるものをもっているが、望月先生に
  「先生はどうして、百姓にならなんの?」と問う。
  望月先生
  「なれんのじゃ。なりたくても、外に好きなことがあるんじゃ。」
  斉藤君
  「子供でしょう。」
  先生
  「よろしいぞ。」
  などと、たのしく、ものの分かった会話が交される。作業途中、いたずらもし、理屈も言ったが、仕事はすすみ、たのしかった。
  後に、望月先生「この道は・・・・・・・」と、しばらくたたずんで、感慨深そうであった。 きれいに出来た。
  4時半ごろより、開所記念の夕べ。
  開所以来10ヵ月。はかりがたき御苦労が、結実しはじめて、所長先生そのままの、御立派な御風格を、体現しつつある時、所長先生は、およろこびと共に、なお一層の努力を、御みずからも誓われ、各先生方、そして子供に、要望されるのであった。
  高きものへ高きものへと、たゆみなく、ひたすらに精進を続けられるおすがたは、まことにまことに尊いかぎりである。子供の胸にも、人生の厳粛さがひびくのか、一入顔色をひきしめているようであった。松村先生、伊藤先生、橋羽先生、佐々木先生が、特別格励(とくべつかくれい)について、表彰された。愛情と努力とを、持ちつづけ重ねつづけて、捧げられた尊さを思う。私も、おほめのお言葉をたまわる。
  ほんとうに、長いようで短い2ヵ月半が過ぎた。まこと足らず、力たらず、何もなし得なかったことを、ふかくふかくおわびすると共に、学校においてはもとより、世の中のどこに於ても、決して、見られまいと思われる、尊くも美しい人生の姿に、接する日日を続けさせていただいたことを、勿体なく思い、心から御礼申し上げる。千金のも替えがたい人生への指針を、私の身体全体に、充たして下された御恩の、万分の一にも報いまつらむとお誓いする。本堂にて、会食。めずらしい、お豆、お豆腐、赤貝など、お心ずくしの数々を、有難く頂戴する。昨夜から久保田先生が、正覚寺へ、しきりに御案内して下さる。御厚情を、勿体なく思い感謝する。日が暮れてしまってから、米沢さん*4がお見えになった。10時頃より、久保田先生に、現象と実体についてのおはなしを伺う。永遠の栄えを、心から、祈りまつる。所長先生はじめ、諸先生方、そして子供達、ますますおすこやかならんことを。
「注」
(1)草津桜寮   海外引揚孤児収容施設
(2)滝岡先生   滝岡昇平 元広島県議、五日市町長、育成所常務理事。
(3)米沢さん   米沢ひろ子 新任の保母。

次に4点の疑問点を掲げ、更に参考のために登場人物名を列記した。
何年頃まで存続したのか?
所が存在した期間、延べ何人の子供がいたのか?
系統的な職員数は?
県からの助成金は無かったのか?

本書に登場する人々(ページ順)
1、香川さん   香川良子(女専学生)
2、江崎さん   江崎定子(同   )
3、大矢さん   大矢寛子(同   )
4、岸田さん   岸田和子(同   )
5、所長先生   山下義信
6、迫間先生   迫間唯彦(26)大東文化学院卒、応召、復員、育成所総務担任、
和歌山児童課長、経済部歴任。
7、池崎さん   池崎定子(女専学生)
8、藤田君    藤田泰雄(6)、広島市舟入本町にて被爆、その他不明。
9、森 先生  広島県労政課主事、育成所庶務、後似島(にのしま)学園長。
(本書に名前の記載は無かった。似島学園で調べた所、森芳磨と判明)
10、斗枡先生  広島市幟町国民学校教諭、育成所分校主任、現広島市幟町小学校長。
11、畑  君  畑 俊雄(13)広島市天神町にて一家被爆、兄弟4名と入所、広島一中、中央大学卒。
12、斉藤 君  斉藤 章(13)広島市上天満町にて被爆、父、船員。
13、岡田 君  岡田光治(14)広島市南竹屋町にて被爆、弟妹3名と入所、
現自衛隊勤務。
14、今田 君  今田義泰(14)広島市大芝町にて被爆、崇徳高校卒、竜谷大学卒、現竜野市円覚寺住職。
15、三好重夫  安佐郡戸山村出身、育成所開設に尽力、現公企体金融公庫総裁。
16、松村先生  松村喜美子(22)第1県女卒、広島市大手町国民学校教諭、疎開児と共に入所、会計担当。
17、石川 君  石川公三(7)「電車は観音町で降りた」その他記憶なし。
18、瀬ノ口先生 女専教授、現広大福山分校家庭学教授。
19、橋羽先生  橋羽ミドリ(40)保健婦、広島市健康指導所婦長、被爆、育成所栄養主任。
20、林田先生  林田豊喜(22)京城大学法務科卒、応召、復員、育成所創設に参加、庶務担任、後林田機械工業株式会社専務取締役
21、望月先生  望月演之(22)東京農業大学生、育成所創設に参加、勤労担任、後労働
監督署長、現東海製鉄株式会社教育課長。
22、西山 君  西山文夫(17)弟と共に入所、事務補助。
23、中山ひろ子 7月22日 旅費をあたえて帰阪せしむ。
24、山田桂子  山田桂子(10)広島市江波町にて被爆、兄と共に入所。
25、野崎明美  野崎明美(5) 広島駅前にて被爆、高松市の出生。
26、渡ちゃん  益村 渡(5) 広島市東観音町にて被爆、栄養失調と気管支炎、
27、松林先生  松林錥三、医学博士、広島市保健課長、被爆、山下義信と同級生、本事業の初めから顧問、広島市江波町で内科医院。
28、山本康夫先生 歌人、真樹社主幹。
29、下村先生  下村千代子、広島市幟町国民学校教諭、育成所分校に派遣。
30、濫觴自然(らんしょう じねん)(22) 豊田郡川源国民学校教諭、応召、復員、入所庶務、宗教担任、竜谷大学卒、現西本願寺勤務。
31、久保田先生 久保田護城(38)、賀茂郡福富町久芳正覚寺住職、育成所の協力者。
32、田中先生  小児科女医、嘱託医。
33、枝正氏   枝正勲一(40)、広島県労務課、労働監督署長、本所経理事務に奉仕。
34、堤君    堤 省二(13)、広島市段原町六軒屋にて被爆、父 堤 輝吉(傘屋)調査したが不明。
35、やつちゃん 石高泰男(6)、広島市牛田町にて被爆、着衣に氏名記しあり、手がかりなし、身体虚弱、特に注意。
36、峠さん   峠 美穂子(女専学生)
37、桜井先生  桜井宏通(23)、九州帝大法科卒、応召、復員、育成所協力に来所、後議員秘書、参議院参事、現筑紫油脂工業KK社長。
38、森田さん  森田 蘭(女専学生)
39、堀井君   堀井一夫(12)広島市三篠町にて被爆、入所。
40、各務さん  各務昌子(女専学生)
41、文ちゃん  杉本文代(5)広島市にて被爆、その他記憶がない。五日市駅にて保護左眼に負傷。   p68
42、登美ちゃん 岡田登美子(11)安芸郡府中町、両親市内にて被爆、兄と共に入所。
43、繁 ちゃん 大黒繁子(11) 両親市内にて爆死、姉と共に疎開地から入所。
44、後藤先生  女専国史学教授、現広大教授。
45、満窪先生  女専教授、現宮崎工高教授。
46、法主猊下  西本願寺門主大谷光照師、5月27日来所。
47、伊藤先生  伊藤芳子(19)県立第1高女卒、元陸軍大佐の娘、保母。
48、溟 君   山下 溟(11)義信三男、子供達と共に起居。
49、川井 君   川井秀夫(14)父鉄道職員被爆、熊野跡村より弟と共に入所。
50、柚木武子さん 柚木武子(9)父被爆死、廿日市町より入所。
51、中湯のさつちゃん 中湯裕子(10) 広島市袋町にて一家被爆、八百屋の記憶あり、疎開先より入所。
52、藤井 君   藤井 茂(9)広島駅に保護。
53、田中先生   広島市幟町国民学校教諭、育成所に派遣。
54、藤原先生   藤原正人(22)広島文理大大学生、育成所に奉仕、現大阪府教育委員会。
55、秀 ちゃん  山中ヒデ子(11)広島市材木町にて一家被爆、三良坂町疎開地より入所。
56、浅田 君   浅田 弘(13)広島駅にて保護、似島学園に移る。
57、伊藤 さん  伊藤道子(女専学生)。
58、美つちゃん  井上美智子(12)広島市錦町にて一家被爆、三良坂町疎開地より入所。
59、藤井先生   藤井香代子(23)保母。
60、八田さん   八田千春(女専学生)。
61、みつちゃん  松井道子(4)広島市内にて一家被爆、姉と共に安佐郡祇園町より入所。
62、山本寿先生  師範学校音楽教授。
63、住川さん   住川隆子(女専学生)。
64、脇本さん   (女専学生)。
65、東さん    (女専学生)。
66、住職様    永野英徹師。
67、木村禧八郎氏  経済評論家、現参議員議員(表記のママ)
68、増田君    増田義修(10)広島市榎町にて一家被爆、得度、竜谷大学卒、現在東本願寺。
69、秋山豪爾郎先生  広島市青年学校長、終戦後孤児救済に奔走、育成所開設に協力、財団法人評議員。
70、望月佐千江  豊田郡大崎小学校教員。
71、日下先生   日下清子(22)看護婦、幼児係保母。
72、峠 さん   峠 美穂子(女専学生)。
73、マコちゃん  山下 誠(3)義信の子
74、上野君    上野弘美(12)双三郡板木村の疎開地より少し遅れて入所。
75、進藤君    進藤正美(7)広島市楠木町3丁目にて被爆。頭部に負傷。
76、矢野君    矢野敬裕(11)広島市内にて両親被爆、安芸郡蒲刈島より入所、現自衛隊勤務。
77、三谷君    三谷英治(9)広島市竹屋町にて被爆、広島駅前にて保護、現洋服店経営。
78、山崎君  山崎太郎(11)広島市内にて一家被爆、双三郡酒匂村の疎開地より入所、現菓子店勤務。
79、迫間(女)先生  迫間清子(23)迫間唯彦妻 保母
80、カッコ チャン  今田勝子(3)義泰の妹。
81、ヒロコ チャン  山内弘子(4)広島市南観音町より入所、現洋裁学校勤務。
82、中村のカッチャン 中村克己(4)広島市比治山小学校より入所、現工務店勤務。
83、尾野のケイコチャン 尾野慶子(6)広島市南観音町より入所。
84、下野のユキチャン 下野雪子(12)佐伯郡五日市町より入所。
85、横山君    横山憲治(13)弟妹3人と共に入所。
86、相談役殿   山下禎子 後に育成所長
87、上久保さん  リヤカーの物品運搬業。
88、岡島先生   岡島信男、広島市文書課長、嘱託。
89、朝鮮     菊池さんの父上(官吏)朝鮮にて抑留。
90、升田先生   升田徳一、音楽家。
91、笑 ちゃん  岩田笑子(13)広島市段原末広町にて被爆、妹弟3人と共に入所。
92、晃 ちやん  山下 晃(15)義信長男、育成所の子供と同居。
93、厚生省    社会局援護課長。
94、渡辺先生   渡辺 完(24)広島市幟町国民学校教諭、所員、現鹿児島療育園総主事。
95、草津桜寮   海外引揚孤児収容施設。
96、滝岡先生   滝岡昇平 元広島県義(表記のママ)、五日市町長、育成所常務理事。
97、米沢さん   米沢ひろ子、新任の保母。

本書
黒地に白抜きで表題< 山下義信編注 菊池女子大学生 >
見返りは、菊池み津子さんの写真が掲載されている。その次には、<所内礼拝堂之本堂と広島戦災児育成所の全景写真の2枚>が掲載されている。

国立国会図書館(関西館)の蔵書
〒619-0287 京都府相楽郡精華町精華台8-1-3

2011年6月8日(水曜日) うす曇   榎 本 東 州  記

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