真珠湾攻撃から所沢市「芙蓉会 富士見産婦人科病院事件」まで パート78

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第6章 『愚禿鉄牛』“その8”

第6章 『愚禿鉄牛』“その8”
ネット上で、榎本東州のサイト「広島・長崎の原子爆弾は日本製原爆であり、地上起爆されたものである。」と云う事に対して、大日本帝国陸海軍が進めていた「日本製原爆の製造研究・二研(陸軍)/F研(海軍)」に関するレポート・書籍を根拠に、<「大日本帝国の原爆研究は、1940年(昭和15)に理研の仁科芳雄がウラン原爆計画を安田武雄陸軍航空技術研究所長に進言し、4月安田武雄中将が部下の鈴木辰三郎に「原子爆弾の製造が可能であるかどうか」について調査を命じた。ーWikipedia 日本の原子爆弾開発ー>と云う事で、日本の原爆製造計画は実質4年で頓挫したと云う論理で、<1944年(昭和19年)9月、同11月、1945年(昭和20年)5月の3回に渡って第8陸軍技術研究所によって“福島県石川町”周辺の希元素鉱床の調査が行われた。この調査に飯盛里安(飯盛武夫?)と共に長島乙吉も参加した。これら一連の調査の目的は、主として原子爆弾の原料のウラン資源の確保であった。たくさん残されている公文書には、一刻も早く原子爆弾を完成させなければならないという軍部のあせりが表れている。ーWikipedia 長島乙吉・飯盛里安ー>と云う「たくさん残された公文書」と云う不可視な文言の中で、特に日本製原爆が完成出来なかった理由として、ウラン採掘問題の筆頭に上げられている福島県石川町(後に村越吉展ちゃん身代金目的誘拐事件で無罪でありながら、死刑になった小原保氏の出身地。)のウラン採掘だけが強く強く強調されている為に、朝鮮半島・中国大陸からアジア地域にかけて官民(産官学)一体となって組織的にウラン鉱石調査と採掘をしていた事実が薄らいでいるのは、大日本帝国政府(日本政府)の情報操作による「洗脳教育」の結果なのである。満州重工業開発社長(鮎川義助の日産の本体)“高碕達之助”は大日本水産会の出身だから、鉱物学の知識がなくウラン採掘に関する知識がないから、その著書『満州の終焉』に書かれた【ウラン鉱石5,000トン(2,000トン)を日本本土に送り届けた】と云うのは嘘だとまで云う始末である。高碕達之助は戦後の田中角栄元首相(理研の建築物を一手に請負っていた)の「日中国交正常化」に重要な働きをした人物であり、1959年(昭和34年)には原子力委員会委員長に就任している訳である。高碕達之助は、水産会だからこそ原子力には無関係どころか、原子力行政の主導的な役割を担っているのである。それが、満州帝国からウラン鉱石を運んで、日本製原爆の製造と完成に功績が在ったことは明白である。今の人はどうだか知らないが、明治・大正・昭和初期の産業人は、政治や科学の知識まで幅広い知識を持っていた訳で、専門馬鹿は逆に少ないのである。それ位に勉強していたのである。今回の稲田朋美 ブチ切れ防衛大臣 の様に、南京事件の専門馬鹿とは桁違いに勉強している訳である。防衛大臣になってから精々法律を勉強してくださいな。日本史と世界史に書かれているのは“南京事件”だけと云う脳天壊了な稲田朋子ブチ切れ防衛大臣には歴史を理解する能力はない訳だから。オバマ大統領も大統領になってから、国政・外交を勉強したから、髪が白くなった。それ位に勉強した証拠だが、日本の阿呆晋三首相は黒髪豊に身体は肥えるだけ肥えて、顔はパンパンに膨れているね。余程の美食家・好色家である。どうせ!岸元首相と同じ、アメリカの傀儡政権なのだから。

2011年10月6日にも書いた、<沖縄・東京・広島・長崎・大阪戦災67回忌(66周年)パート16ー15年戦争極秘資料―ババル島事件関係書類『* 大日本帝國は、昭和11年以来朝鮮軍(大日本帝國政府が健軍した軍隊)を利用して、朝鮮半島でフェルグソン(ウラン)を採掘していたと記載されているか ら、やはり当時も現在も日本は大量のウランを日本は保有している訳である。――朝鮮軍概要史:15年戦争極秘資料にフェルグソン(ウラン)の記述あり』2011年10月6日 記述>
【昭和11年(1936年)以来朝鮮軍を利用して朝鮮半島でフェルグソン(ウラン)を採掘していた。】と云うのだから、上記の「大日本帝国の原爆研究は、1940年(昭和15)に理研の仁科芳雄がウラン原爆計画を安田武雄陸軍航空技術研究所長に進言し」と云うのは、事実関係を無視した記述である。ウラン原爆計画が1940年(昭和15年)で、1936年(昭和11年)には朝鮮半島での朝鮮軍(大日本帝国軍が健軍)を動員してウラン採掘をしていたと云う時系列で4年の矛盾が生じている。「核分裂」を実験科学として予想したのは、1934年(昭和9年)のエンリコ・フェルミの論文で、1938年(昭和13年)に「オットー・ハーン/リーゼ・マイトナー/オットー・ロベルト・フリッシュ(原子爆弾の仕組みについて理論的な説明)」によって、「核分裂」が確認される訳である。つまり、大日本帝国陸海軍(官民一体=国家総力戦→国民精神総動員)は、1934年(昭和9年)のエンリコ・フェルミの「熱中性子ー核分裂」の発見の時点から、ウランを利用した原子爆弾の製造計画を立ち上げているから、フェルミ論文から2年後(或は1年後)の1936年(昭和11年)には軍単位でウラン鉱石を採掘して、原子爆弾製造に着手していて、1945年(昭和20年)以後から、大日本帝国政府は原爆製造計画は存在していたが、1940年(昭和15年)から計画が立ち上がって、福島県石川町でウラン採掘をしたが、1945年8月15日に終戦となり、日本製原爆製造計画は未刊に終ったと云う歴史を洗脳して、世界で一番速くに原子爆弾製造計画を立ち上げていた事を隠蔽している。それを、御用学者らは嘘の上塗りに驀進しているだけの話しである。岡本好古著の「悪魔の小太陽ー原爆投下にたずさわったアメリカ人技師の物語」(原書房刊、2009年7月27日発行)この“あとがき”p323に<「原子物理学の基礎を開いたキュリー夫人は、ラジウム精製技術などへの特許権取得の申し出を断り、研究成果をすべて公開し、「人生最大の報酬は、知的活動によって得られる」とのべている。>と書かれている。岡本好古(おかもと よしふる)のこの書籍は「小説」だから、歴史的な資料には完全に無視している。だからフィクション小説だとして読めば、少し紙質は硬いが、尻を拭く紙程度にはなるかもしれない。この「キュリー夫人が特許権取得を断った」と云う文言に囚われた人が、サイト「日本製原爆完成全文」を読んでいない人は別として、この「日本製原爆完成全文」読者の中に幾人いるだろうか?山崎正勝教授の名著「原爆はこうして開発された」の共著者“日野川静枝”教授の労作『サイクロトロンから原爆へ』317頁〜319頁に《資料 フレデリック・ジュリオ・キュリーたちの特許》と題されて【エネルギー生産の装置ーーH.von Halban, F.Joliot, LKowarski,そして、 F.Perrin:特許Gr.5-C1.2. No.976.541(1939年5月1日の科学研究の国家基金によって申請された)ー 要約:中性子の作用のもとで、連鎖的に中性子を放出することのできる大量の物質によって、本質的に構成されたエネルギー生産の装置。・・・・】と、【爆発物の改良ーーH.von Halban, F.Joliot, LKowarski,そして、 F.Perrin:特許Gr.14-C1.3.No971.324(1939年5月4日の科学研究の国家基金によって申請された)ー 要約:中性子作用のもとで、連鎖的な中性子の放出を引起すことのできる物質(ウラニウム、トリウム、その他のもの)によって、本質的に構成されている爆発物の改良・・・・・】と云う訳で、キュリー夫人の研究所の特許として「原子炉と原爆」はある。マアー!ラジウムの精製技術の特許などはどうでも良いが、「原子炉と原爆の特許」は大きな問題である。岡本好古の小説は座敷牢の中で、国民に歴史像を歪める為に書いたものなのでしょうから。原爆の理論的仕組みとしての特許はあっても、原子爆弾そのものの起爆装置がないと、起爆できない訳だから、原子爆弾を起爆させられれば、その時点で「原子爆弾の特許」が成立するのではないだろうか?1939年と云えば、日本人女性の「湯浅年子」がキュリー夫人の研究所とコレージュ・ド・フランス原子核化学研究所、CNRS(フランス国立中央化学研究所)に入所した年である。前に湯浅年子については書いた様に、大日本帝国へフランスの最先端の核物理学の情報を送り続けてて、理研の原爆開発に貢献した訳である。原爆製造計画には多くの越えなければならない、未開発の技術があった。大日本帝国政府がこの未開発の技術を克服できたのは、高速鉄道技術を開発してきた現在で云う「システム工学」と技術体系が存在していたからである。1930年代にシステム工学と云う言葉は存在していないと思うのだが、鉄道技術の開発過程では自然と行われていた。だから、宇宙開発のロケット製造・打上げまで至っている訳である。製造技術の工程管理だけでは、原爆製造と実戦(生体実験)使用まではできない。システム工学思想が、今や日本社会全体を覆い尽くして、国民の思想がシステム工学の一部品化して、思考停止状態に陥っているとは思いませんか?9月21日に近鉄の車掌さんが、列車の遅れで乗客と口論となって、制服を脱ぎ捨てて線路に飛び降りて怪我をしたと云うニュースについて、精神科医がコメントしているが、これも怪しい。車掌さんに限らず、乗客も精神科医もすべて、日本人はすべて、経済システム工学の一部品に組み込まれた行動を強要されているから、不自由を感じている訳である。首相だけは阿呆晋三でご満悦だが、国民に対して政府は「不自由を不自由として生きよ」と、戦中の“欲しがりません勝までは”の思想である。日本は、世界に日本流の経済システム工学を、世界に販売する二重国籍ならぬ、多国籍企業だから、世界中が日本の天皇制システムの一部品となっている。それを、後方支援しているのが、アメリカの軍事力としての、日本製核兵器システムなのである。

上記の<H.von Halban, F.Joliot, LKowarski,>に関する日本語版のWikipediaは、存在しないし、外国版でも当たり障りのない文章で紹介されている。そう云った訳で、原爆開発の闇はまだまだ深いのである。例えば、ウラン鉱石を福島県石川町で探していたのが「長島乙吉・飯盛里安」と述べられているが、福島県石川町の鉱物分析を担当したのは、埼玉県志木市の「東邦産業研究所」であったし、ウラン鉱石を探し出した最大の功労者は、徳島県の脇町に在住してる「郡定雄」(海軍兵学校、熱出中)の親族らが、鉱山学者として朝鮮半島・中国大陸・東南アジア地域で、ウラン鉱石の採掘に在っていたことなど何処にも出て来ないのである。そして、先に書いた「原子爆弾の弾体製造に拘った、大同特殊製鋼・住友金属」に繋がる東京都世田谷区若林・岐阜県各務原市鵜沼川崎町の「渡辺製作所」等以外にも複数の会社が登場する訳である。勿論、東芝やIHIも関係している。この様に裾野の広い技術をまとめ上げて来るのが、システム工学であり、朝鮮・満州・東南アジアを制覇していた満鉄の調査部(インテリジェンス機関)なくしては、確立し得ない訳である。それは、関東軍731部隊の生体実験をも網羅しているし、日本の阿片商売とも密接に繋がってくる。「キメラー満州国の肖像ー」山室信一著、中公新書発行。の山室信一氏も満州国を研究するのは、深い闇に手を付けると云った様な事を述べている。だから、日本製原爆完成と広島・長崎における人体実験使用について、国民は、理研の人脈の二研・F研しか無かったと、政府の発表を頑なに信じている訳である。インドネシアの山奥の住んでいた原住民の証言では、日本軍は正に破竹の勢いで、オランダ・イギリス軍を蹴っ飛ばす勢いで、それは凄かったものですよ。負け戦になったのは、数年してからですよ。当時の大日本帝国政府(=日本政府)は、この破竹の勢いで、原子爆弾の製造をしていたと云うことです。

2016年09月22日(木)秋分の日 長雨が続く 榎本 東州 拙速

次に“日野川静枝”著『サイクロトロンから原爆へ』(2009年8月23日 績文堂出版株式会社発行、拓殖大学発行)317頁〜319頁《資料 フレデリック・ジュリオ・キュリーたちの特許》の画像を掲載。
 
 

2016年09月23日(金)雨  画像を追加 榎本 東州 拙速

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