沖縄・東京・広島・長崎・大阪戦災67回忌(66周年)パート31

沖縄・東京・広島・長崎・大阪戦災67回忌(66周年)パート31

<「木蓮の花」ー彦坂忠義追悼文集ー>は「日本製原爆製造と完成、そして広島・長崎での人類史上第1号の人体実験としての使用」を考える上で見ると、正に「宝箱」である。そこには、色々な疑問が隠されている訳である。その一つが、パート30で述べた「旅順工科大学の創設期から終戦前後の授業風景、満鉄の教育制度(皇民化教育)、日露戦争後の大日本帝國による旅順占領。台湾・朝鮮・中国/白ロシア(満蒙経営)等々」幾らでも歴史の扉を開く事ができる訳である。そして、もう一つ此所に疑団(疑問の塊)がある。それは、<彦坂忠義博士の“1950年(昭和25)岩手大学学芸部教授となって盛岡市に転居。といっても、戦後の住宅難のため家は見つからず、工学部橋本教授のお宅に間借りさせていただく。”>と云う岩手大学勤務と云う履歴である。岩手大学勤務時代に関する記述は、<【伊藤梧郎 】岩手県立水沢高校・元校長>が比較的詳細に記述しているし、彦坂締氏も深い情感をもって追想している。第1の問題は、大連から帰国してからの就職先が「岩手大学」だったという疑問であり、第2の問題は、62ページに書かれている<軍需工場への買出しーー北上市(当時黒沢尻町)に日本軽金属という大きな軍需工場がありました。>と云う部分である。彦坂忠義博士も伊藤梧郎氏にしても、「黒沢尻町の日本軽金属」の存在はごく当然な存在だから、疑問はないのでる。しかし、戦後からの視点で考えると、何故?“日本軽金属”が黒沢尻町に在ったのか?である。それについて、伊藤梧郎氏の説明は<近くで豊富に採掘される普通の赤土から、難しい工程を経てアルミナを生産し金属アルミニウムを作る工場>だったと云う事らしい。しかし、黒沢尻町にはもう一つの世界最大の大軍需企業「中島飛行機(現HONDA技研、富士重工)」がある。そして、中島飛行機の本社(設計室を含む)を黒沢尻町に移転して、超長距離重爆撃機『富嶽』を生産する計画だった訳である。だから、アルミニウム/ジュラルミンの製造工場が在るのは当然だった訳である。むしろ、岩手県黒沢尻町でも「日本製原爆の設計と製造の研究施設」が存在していた可能性が出て来るのである。東京都三鷹市地区に在った「中島飛行機 三鷹研究所」を本社ごと「黒沢尻地区」に移転する計画が比較的早い段階から進行していたのである。これについては、【正義の味方“朝日新聞”と、国民の皆様の“NHK=日本放送協会”】だけが報道しているのである。ピンからキリまで悪党らが全部を支配しているのである。国民に開示された情報はない。重要な部分は全て隠した上で、報道して国民の眼をごまかしているのでる。何故?彦坂諦氏は、この「岩手県北上市黒沢尻地区」を調べないのだろうか?彦坂締氏は「世間から見たら「亜人間(低能・無能)」>と云う人々だけを重点要因に考え過ぎて「市民」を除外いるからですかね。さて、問題の「黒沢尻町」であるが、何故?ここが世界から注目されるべき町なのか?と云えば、東京都品川区豊町4丁目「東照寺国際参禅道場の2世“伴鉄牛 老古佛”」の母校である「旧制黒沢尻中学(現岩手県立黒沢尻北高校)」で在るからだ。福蔵寺(現岩手県二戸市浄法寺町)の師匠が学校進学を妨害していたが、孤軍奮闘して「旧制黒沢尻中学」への願書提出に成功し、念願の旧制黒沢尻中学へ入学を果たしてといういわくのある学校である。伴鉄牛老古佛が生前に、耳に蛸ができる位に聞かされた物語である。東照寺の法務担当兼住職の出口鉄城・由美子なら35年以上にわたり、伴鉄牛老師から聞かされている筈だから、榎本東州よりは人身の細胞にまで浸透している訳で、黒沢尻町の名前を聞いただけで、彦坂忠義博士の黒沢尻町入りの事情は既に理解できている筈だと思うわけですね。35年以上も繰り返し同じ話を聞いていて、未だに人の話が理解できないなら。それこそ出口鉄城・由美子夫婦「バカの壁」である。伴鉄牛老古佛の提唱では「旧制黒沢尻中学」では、<英語の辞書を暗記する度に、完全に暗記できたページを食べて、最後には辞書1冊を食べてしまった。そう猛烈に勉強したから、旧制高校(現在の大学)への進学率も上級公務員に成る者が出た。わしも大隈重信/重信房子/伴重信(国学者、福井県)と同じ名前の「重信」だから立身出世するため頑張る。>と云っていた訳である。それが、「旧制黒沢尻中学の伝統」として今日に受け継がれている訳である。それをね!出口鉄城(本名:充彦)の二女「出口元美」がね「日芸魂」だと叫んで、埼玉県警所沢署の署長始めとした司法警察職員のふぐり(睾丸)をつかんで、榎本東州に対する嫌がらせと逮捕と財産没収を繰り返している訳である。流石「あさま山荘」で機動隊と銃撃戦を繰り広げた「永田洋子(事件前に逮捕)」と同志だった「出口由美子」が産んだ子だけの事は在って、悪党だからファイトがある。さて、“旧制黒沢尻中学”の立身出世の伝統を築いた人物について、伴鉄牛老古佛は「八重樫運吉」であると云っていた訳である。それが、《岩手大学ー彦坂忠義ー黒沢尻町ー日本軽金属・中島飛行機ー八重樫運吉ー下村海南(宏)ー内務省ー四国4県ー徳島県脇町ー陸海軍燃料廠ー岸・佐藤内閣ー日本政府の原爆販売外交ー朝鮮・中国人の奴隷条約》と云う図式である。世界的なテロリスト“出口由美子”の出身校「旧制岡山中学(現岡山県立岡山朝日高等学校)」と双璧をなす「旧制黒沢尻中学」の学風を作り上げた【八重樫運吉】の履歴は次の如くである。
【八重樫運吉】
正7位
事務官
西區南外堀町縣應内 電東8401
【履歴】
岩手縣甚五郎七男
明治38年1月生る
昭和9年東大法科卒業
同8年高文合格内務省社會局労働部勤務
地方事務官秋田縣學務部學務課長兼社會教育課長
厚生事務官職業課國民登録課勤務
同16年4月大政翼賛會に入り総務局総務部副部長
同12年復官
趣味 釣
【家庭】
妻 春子(明45)
長女 絹子(昭2)
二女 泰子(昭14)
■出典
1987年10月5日 定価 20,000円
昭和人名事典 第2巻ー[北海道・奥羽・関東・中部篇]
底本ー谷 サカヨ 編・発行
『大衆人事録』第14版
(昭和18年、帝国秘密探偵社)
発行者:高野良夫
発行所:(株)日本図書センター
      〒112 東京都文京区大塚3-4-13
      電話;03ー947ー9387
製本印刷:モリモト印刷  製本・吉田製本工房
【八重樫運吉の著書】
1、大政翼賛会ヲ繞ル現下ノ時局ノ動向ニ就テ:
  八重樫運吉講演速記錄「桐生市大政翼賛会壮年隊, 1942 – 14 ページ」
2、國防國家の理論と政策ー日本評論社
3、宇宙神の地上再臨ーもろびと書房
【黒陵五十年史ーー発行日:1974年(昭49)12月20日 発行:黒沢尻北高等学校】
に掲載された「八重樫運吉」の記述。
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<黒陵の夜明け  その2>p122
八重樫運吉(1回生)
入学してから1年間は、木刀で剣道の型ばかりやらされた。2年生がはいってところで柔道部の先生に黒沢尻の瀬戸物屋の主人である吉辰さんが就任したので、剣道部と柔道部に別けることになった。ところが殆ど大部分が柔道部を希望し、剣道部に残るというのは数人しかいなかった。剣道部の先生は、石橋先生という方で、校務も担当していた人だったが、困って了って、私とか照井精一君というような年齢の多い生徒を集めて「お前達が入学するときは」年も大部とっているので、若い者に悪いことを教えてはいかんから、入学させるべきではないという先生もあったが、自分は頑張って、今まで他の学校にいけないでいた貧しい家庭の子供等が、向学心に燃えて受験してきたものを、入れないというのは可哀相ではないか、と主張して入学させてやったのだ。」ときかされ、「剣道部の編成について、協力してくれ」といわれたので、われわれが先に立って剣道部に入り、また勧誘したので、ようやく半々の人数で剣道部と柔道部をつくったのである。当時は武道は正科であったからである。・・・・・・・中省略・・・・・・上田伊代吉先生というやかまし英語の先生がいたが、私は或る用事で上京したときに、神田の古本屋をまわって一冊の英語の参考書ーーー先生用の参考書を入手した。上田先生の出す問題は、なかなか味のある問題をが多いと思っていたが、それがその参考書の中の例題の中にすべてあることがわかった。それからひろってきて出題していることがわかった。つまり種本だった。それで、私は「先生の問題なら大抵わかるさ」と口にしたかどうかはしらないが、先生の方は何とか私の虚を突こうとしていたようだった。或る日、英語のテストを終って、寮の部屋に帰っていると、先生がやって来て、「八重樫、今日の問題はみなできたか?」「そのつもりですが。」じゃ一番は何とかいた。二番はどうだ。といわれるので、私は順を追って答えをのべていた。そして何番かの「左の誤りを正せ」とあるところへくると、先生は手をたたいて「とうとうまかしてやったぞ!」と笑っていた。That people are とあるのはピープルが複数だから、Thoseと訂正しなければならなかった訳だった。私は頭をかいて降参した。いくら種本をもっていても駄目だったか、それにしても先生は生徒を負かしてやろうと勉強して問題を出し、生徒は何糞!まけるかと頑張った一つの例なわけだ。放課後、河岸に下宿していた嘉久君がカバンをわきの下にかかえて、とっとっと走って行く。先に校門を出たわれわれのグループを追越してかけていくので、「嘉久君、どうしたのか、何が起こったのか」と声をかけたら、「ぼやぼや歩いて時間を費やすのは勿体なくてね。早く部屋にかえって勉強しあけりゃならなくてね。」と云って、また走りつづけていった。4年から高等学校に受験して二高に3人、弘前に1人(阿部円ちゃん)と合計4人合格したが、107人の生徒数の中で受験した数から比較すると、岩手県ではいい成績のようであったと思っている。私等3人が仙台に受験にために出て同じ部屋にとまって、「明日はいよいよだぞ」とノートをとり出してばらばらめくっていると、芳賀先生が仙台の友人にたのんでくれていた、たしか畠中か畠田とかいう先生が、われわれの宿にたずねて来て、受験場の心構えを教えてくれたが、そのときわれわれのノートを見て、「これは仙台一中、ニ中のできる生徒達と同じくらい勉強しているよ。」とほめてくれた。或は激励のための言葉であったかもしれないが、まんざらお世辞だけではなかったように感じられた。
第1回生には先輩というものがなかった。歴史もなかった。伝統もなかった。先輩も、歴史も、伝統も、われわれが始めなければならなかった。先ず、校風をどうしょうか。「質実剛健」でいこう。或るとき、級長2人が生徒監の及川先生に呼ばれて、「わが校の生徒で、許可を得ないで映画館にはいった者がある。校規に照らして処罰しなければならなぬが、可哀想でもあるので、自首してきたら、今度限り勘弁してやろう、どうしょうか。」「一寸まって下さい。われわれで自主的にやりますから。」といって、さて、一同に集まってもらった。皆、あぐらをかいて、何のことだろうと私と平野君2人を見つめている。「実はこういうわけだ。自分で名のりでてもうやりませんと云ってくれないか。」というと、すっと2人、誰だったか忘れたが、立って「すまなかつた。」と首をうなだれた。心なしか目がしらのあたりが光っていたようだ。「じゃ、一緒にいって、先生におわびしてこよう。」というので、4人で先生に会って、誓ったものだった。校風の次には、応援団の編成と応援歌をつくること、練習をすること、旗のふり方、ユニホームや応援旗大、中、小をつくること、皆、われわれでやった。そのうちに、照井精一君がチャッチャッチャッと扇をひらいて拍手の応援を始めた。当時、花巻に中学のないときだから、花巻高女と黒沢尻実科女学校の生徒達は、黒中の男生徒の応援にまわることが多かったことをほのかに思い出す。そのうちに早大教授の相馬御風氏に依頼していた校歌が出来て来た。我々が、3年か、五年になった頃だったが、
   みちの中国水清き
   和賀の平野の一角に
   老松天を摩すところ
   毅然とたてる吾が学舎
   ・・・・・・・・・・・・
   きけよ我等が つきならす
   暁つぐる 鐘の声
と、高らかにうたい上げた。真に郷士に、質実な文化の塔を、大地から築き上げねばならぬ使命を帯びて、萩江の丘=黒陵の夜明けに我等がつき始めた鐘の声であった。
黒陵五十年史
昭和49年11月21日
発行:岩手県立黒沢尻北高等学校
   北上市常盤台1
校長:高橋貞雄
編集:高橋健治、高橋喜太郎。
印刷:株式会社 杜陵印刷
   盛岡市下厨川谷地頭45
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以上である。
次に、「八重樫運吉著 國防國家の理論と政策 200頁」から引用すると、
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國防國家に於ける國内再編成ー新體制ーの原理は、そのまま世界再編成の原理であることを明らかにしたのである。私は更に進んで、かかる基本的な性格が如何に具體的に現象するか、此の原理が如何に現實に適用せらるるか、又せられねばならぬかを檢討せんとする。國防國家に於いては、前述せる如く、何れの民族國家から見ても、厳格にいって國境はない。それは全世界にひろがった行動組織體系である。長い自由主義時代と生産行動の高度化及複雑化ーー迂回生産組織の行はれる世界は、その隅々まで商品がゆきわたり、此の商品のゆくところ行動の連環は濃淡の差はあるが、至る所の地域に展開し、之を技術的體系の連続の中に組織し來ったのである。此の商品がランカシャから送り出されるものであるか又は大阪から送り出されるかの違ひはあっても、商品経濟の行くところ、世界再組織の手はのびたのである。大阪の商品が南米の一隅に這入ったとするならば此の商品の原料は印度又は豪洲に産し、その生産機械は米國から輸入し、米國の工作機械制作に要したゴムが蘭印から來たものであり、此の蘭印のゴムの精製に英國の資本と技術が這入って居るとすれば、南米の一隅は、かかる全世界に亘る行動組織の末端に組織されたものであるからである。斯くの如く自由貿易主義の洗禮を受けた世界は行動の技術組織の點に於いては國境を全世界に展開したのである。歐洲に起こった戦亂は、直ちに我が國に何等かの影響なしには濟まされない。曾て各國孤立経濟時代の如く對岸の火災視するを得ないのである。世界は一つの尨大な技術的行動組織のメカニズムの中に組織されつつある。國防國家は全世界を地盤とした技術的行動組織である。・・・・以下省略。

國防國家の理論と政策
印 刷:昭和16年4月3日
發 行:昭和16年4月8日
定 價:貳圓五拾銭
著 者:八重樫運吉(やえがし うんきち)
発行者:鈴木利貞
    東京市京橋區京橋3丁目4番地
印刷者:谷口熊之助
    東京市麹町區5番町12番地
発行所:日本評論社
    東京市京橋區京橋3丁目4番地
    電話 京橋6191ー4
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昭和16年(西暦1941)と云えば、日米英開戦(太平洋戦争、東南アジア侵攻)の年である。世界経済が国境を越えて始まり、その重要性をうたっているが、現実は戦争経済に突入している。しかし、今日の時点から八重樫運吉の書籍を読むと、日独伊三国同盟から米英を巻き込んだ「戦争」の勝敗を知った上で、戦後(1945年)から日独伊が始めるべき「経済・文化戦争」の図式を披露している様に伺えるのである。事実、八重樫運吉は下村海南(朝日新聞とNHKの役員)等と共に、「日本製原爆製造と完成、そして、広島・長崎での地上起爆による人体実験」について、【宇宙神の地上再臨ーもろびと書房】の中で間接的に述べている。八重樫運吉や下村海南(宏)などの“ごろつきヨタモノ”を日本では賢者と呼ぶ訳である。これが、「旧制黒沢尻中学(現黒沢尻北高等学校)」の高等教育であり、現在の「義務教育下での武道が正規の教科となっている事情」である。小中学校でも武道教育の正規化を司法警察職員の受け皿にするのは、司法機関が教育施設を乗っ取り、軍事練体制に入った事を意味しているのである。準軍隊教練と云う訳である。それは内閣特別顧問「佐々淳行の國防國家論」である。イスラエルのイラン挑発行為の裏には日本の内閣が謀略している。米国 ブッシュ前大統領の言動が静かなのがね。ちょっと気になりますがね。それに,比べて東照寺国際参禅道場の法務担当兼住職 出口鉄城・由美子夫婦は今日は3月4日から伊豆の“河津桜”観光である。それが、2010年10月1日の“Twitter=つぶやき”に書かれている伊豆 天城高原の別荘見学再開なら、隠れ家探しと云う訳である。
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出口 鉄城 ‏ @tetsujyo2012年3月4日
今、家内と伊豆の河津桜を見に来ている。今年は厳冬で、早咲きの河津桜の開花が遅れ、おかげで私たちにとっては最高の状態で見に行くことが出来た。家内は死んだら桜の木の下に埋めてくれというほど桜好きだ。よくわからんが、5分咲き位がベストらしい。
出口 鉄城 ‏ @tetsujyo2010年10月1日
今日は、伊豆の天城高原へ行ってきた。ある信者さんが別荘2棟を、要るなら差し上げますと仰るので、夏の坐禅会用にと思い、下見に行った。老朽化と立地条件などを判断して、結論は無理だったが、初めて伊豆方面を車で走った。濃霧のスカイラインは最悪だったが、帰りの海岸線はステキだった。
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此所で、ある信者さんと書かれているが、天城高原なら三菱の岩崎家か?その繋がりである。しかも何でも欲しがる出口鉄城が辞退する別荘なら、殺人現場となった物件でる。つまり、「天城心中(愛新覚羅慧生と大久保武道が拳銃自殺)」の舞台となって別荘である。これなら欲深い出口鉄城・由美子夫婦でも辞退する物件である。それが、オセロ中島と行動を共にしていた“女占い師=出口鉄城”と云う訳である。
次に「下村海南(宏)」の問題であるが、それは、2012年3月3日に報道された<大麻栽培用の土地貸します=財政難の村が窮余の策ースペイン 【パリ時事】スペイン東部カタルーニャ自治州にあるラスケラ村の議会は2日までに、合法大麻草を栽培する団体に土地の貸与する計画を承認した・・・>に繋がって来るのである。スペイン政府と財閥は、イタリアの大富豪と関係が深いのである。そのイタリア政府とバチカン市国に関係しているのが、毎度お馴染みの“スメラノミクニ=日本”である。その日本の中でも、朝日新聞とNHK情報機関は、このスペインの大富豪と関係が深い、それが、NHKの前田義徳(朝日新聞ローマ支局長、第10代NHK会長)である。頻繁にドリフターズの「加藤茶(69歳)」が46歳下の女性 河原綾菜(23)と結婚し子作りすると報道しているが、この年の差結婚の話は、日本とスペイン(ブルガリアを含む)の国交に関する問題について、日本政府の上層部だけが隠語として流しているのである。麻生太郎元首相が「金が無いのに結婚はできない」と発言していたのは、日本政府とクリントン元大統領が画策していた「南北朝線半島の併合計画の危険性について、危惧していた発言である」「結婚」問題とは外交上の同盟関係を報道しているのである。芸能人のスキャンダルで外交の進捗状況を政府指導層は議論している訳であるから、国民は批判なく状況を監察する必要があることは云うまでもない事である。前田義徳の妻は、ブルガリアの大財閥(富豪)の娘(日本名:静香マクレロウ”ァ)だった訳である。前田義徳の著書の中では死亡と成っているが、それは偽証である。つまり、静香マクレロウ”ァは日本での仕事が終ったので帰国しただけである。又、佐藤栄作の「明治ブルガリアヨーグルト」も、此所から来ているし、相撲界とブルガリアの関係も此の朝日新聞“前田義徳”と関係している。つまり、朝日新聞とNHKは根元が同じと云う訳である。前田義徳夫婦には子供当然居る訳で、その血縁の繋がりで、現在日本政府はスペイン王室と同盟関係を結ぼうとして訳である。それが、イタリアの豪華客船の座礁事件と海上での船火災事件の原因である。つまり、計画的された座礁・火災事件という事である。この前田義徳を指導していたのが、下村海南(宏)朝日新聞社長である。福島県二本松の旧大名家出身の故山田耕雲(参禅会三宝興隆会長、東京顕微鏡院会長、満州日本油脂役員、妻は阿部姓)の長女 山田満子(朝日新聞役員)の主人が下村姓なのは、下村海南の子と婚姻したからである。朝日新聞社は大満洲帝國建國前に、社の飛行機で“愛新覚羅溥儀”を運んでいる。そのパイロット(小林?品川区旗の台)から、生前に榎本東州はその経緯を直接聞いた訳である。このパイロットは朝日新聞社内の禅会をしていた、城山知仙(城山富美子、栃木県出身、週間朝日記者)とは勝友(原田祖岳の出版物)繋がりでる。朝日新聞も日本放送協会も国民を塗炭(とたん)の苦しみに引き摺り込んでおきながら、今では「社会正義の朝日新聞」となり、「みなさまのNHK」と云って放送送信料を受信料未払いと云って国民から放送送信料という税金を強奪している。実に人間の皮を被った外道共である。それが、2012年1月30日に報道(共同通信)された<海南島観光で「ぼったくり」非難 魚1匹に7万円請求>と云う話である。「中国のハワイ」の海南島を代名詞にして実は「下村海南(朝日新聞社、NHK)」の悪辣な「ぼったくり」手口を云いたい訳である。更に下村海南の著書に「遍路」と云うのがある。その中で【京都市長(警察部長)大森吉五郎と、大森皇后宮大夫(おおおりこうぐううたいふ)牧野宮相 皇宮庁皇太后付き大夫】が出て来る。この大森一族が日本共産党 宮本顕治の妻 宮本寿恵子(旧姓:大森)の親族としか考えられないのである。それが「赤の貴族=日本共産党」の正体である。大森寿恵子は東京出身というが、京都府であり、皇族である。だから、前田忠廣著「国の大義に名のもとにー草莽の証言(私の昭和史)」の中で「宮本寿恵子は公爵夫人」と表現している訳であり、前田忠廣の父母は満州に残置したのである。著書の中で、前田は父母が死んだと云っているが、その文面から死亡とは認められないのである。戦後、前田は中国とインターネット事業に成功するが、其処には中国共産党と太いパイプが出来ている事を証明している訳であり、日本共産党と中国共産党と蜜月関係が見えてくるのである。大満洲帝國が蒋介石/毛沢東/張学良らの台湾政府・中国政府機関を形成してる事実は否定できないのでる。そこは「新宿 中村屋の“月餅外交”」と呼ぶべきものでる。先の前田忠廣の父は、北海道から鹿児島に行き、其処から「満洲中央銀行 秘書室」に就職するのだから、やはり、NHK=日本放送協会 第10代会長“前田義徳”とは親族である。だから、前田忠廣著の「国の大義に名のもとにー草莽の証言(私の昭和史)」は理解しにくいが、団子状になった糸の解れ口が分かると、前田忠廣の心の深層が見えてくる訳である。それでは、彦坂締は何故?黒沢尻の日本軽金属や中島飛行機の問題を抜きにして、体験のない「ガダルカナル」に関心があるのだろうか?白井愛(本名:田島衣子、1934年生、大阪府)と井村桃江に飛んで仕舞うのは、物理学で云う白井愛の「不確定性定理的」な存在と云いたいのだろうか?前田忠廣も彦坂締も日本共産党員である。だから、女性問題に振り回されているのである。それでは、民主党の幹部も党員も「女性問題しかない」のだから、民主党とは日本共産党が縫いぐるみを来た政党と云う訳である。さて、岩手県北上市黒沢尻地区の「中島飛行機」で検索すると、岩手県横目川で中島飛行機の地下工場建設を「株式会社 間組(ハザマ)」が請け負い、大量の朝鮮人労働者が強制的にトンネル工事に従事させられたが、その後、この人達の行方が分からないと云うのである。つまり現在でも間組も日本政府もHONDA技研・富士重工(旧中島飛行機)も当時の経緯も朝鮮人労働者の行方を調査しないのである。それでいて「北朝鮮の拉致問題」ではアメリカ政府に強硬な圧力を加えているが、横田早紀江(京都府の着物問屋)・滋(徳島県、北海道の大学、日本銀行勤務)夫婦は、京都府の朝鮮総連と合意の上で、娘 横田めぐみさんを故金正日総書記に嫁がせて、京都府と徳島県の白足袋族と結縁しているのに、「拉致疑惑」を世界中に叫んでいる。本当の拉致被害者は日本海に拉致段階で遺棄されている。それこそ、佐々淳行のすべき職務であるが、小学校時代の軍国主義者だから、未だに石原慎太郎と悪ガキ仲間とつるんで軍国主義を叫んでいるのである。問題は日本で行方不明になっている「中国・朝鮮」などから、強制労働に狩り出された人々の追跡調査であり、ロシア(旧ソ連)が、シベリア強制抑留と満洲でも残虐行為に対する調査である。そして、日本政府がロシア政府に変わって、賠償する理由が知りたいものである。強制抑留したのはロシア政府(旧ソ連)であるから、ロシア(プーチン大統領)に賠償責任を求めるべきである。幾らスターリンに感謝状を抑留されていた日本人が書いたと云っても、強制化の状況では普通は有効な書面とは認められる筈がないが、日本の司法制度では有効なのだか、司法制度の腐敗は底なしである。先の黒沢尻北高等学校については、文部科学省の教育カリキュラムの中にある「世界史」の授業を1時限もしていなかったと云う問題も在った。これは、日本全体で義務教育でもお座なりなのは当然である。橋下徹大阪市長は教育改革に熱心だから、今回は義務教育に於ける世界史と日本史の是正をすべきだね。最も、橋下徹自身が「偏差値教育の落しだね」だから、偏差値優等生は何をしでかすか?直ぐにキレる訳である。橋下徹は汚水の流れる道頓堀の大阪市だから、穂積登大会長の心理療法を受けられないだろうから、深井善光精神科医から「偏差値病の厚生療法?」を受けてから教育問題に取り組むのが筋である。偏差値教育の標本人間“橋下徹”が教育改革を叫び「君が代の斉唱」と「落第/留年/飛び進級」だけを押し進めるのは片翼飛行である。学校で思い出したが、黒沢尻地区の教育の発祥は、「寺子屋」であるが、その水沢・北上・弘前の地域で活躍していたのが「斎藤塾と鈴木塾」だった筈である。つまり、小沢一郎の言動は、正に「寺子屋型 政治塾」であるから、遺伝的に同じ過ちを繰り返している姿が伺える訳である。やはり、小沢一郎の胤は、海軍大将“斎藤實”である。黒沢尻町が国家主義者の発祥地である。それが、原不二子(道徳再武装運動のリーダー=テロリスト奨励運動)の云う「言霊」と云う天皇制を護持したがる、不逞の輩である。それを、日本国憲法を書いた憲法学者の鈴木安蔵の云う「日本憲法科学の曙光」p16から<日本国憲法第1章を改正する一つの重要な手掛かりがあります。それはXデーによるご大喪とご大典を利用するということであります。いま天皇自身が神隠れすることによって、非常に大きなイベントであるご大葬が行われる。そして2年後にはご大典が行われなくてはならない。いまの憲法には抵触しますが、必ず新嘗祭をやるに違いない。新嘗祭は敗戦後、皇室典範から削除されましたので、国家行事としてはやりにくいですから、始めは天皇家の神事として、私事としてやるでしょう。しかし、事柄の性格上、必ず国事に格上げされる。もしも、そういう新嘗祭をやれば、天皇の人間宣言はホゴにされて神に復活するわけでありますから、その神に復活した天皇をもとにして、新たな天皇制の段階がひらかれる。しかし、ご大葬というようなことで、国民全体の の念を呼び起こされますから、星野安三郎さんみたいに正面から天皇を批判すれば許されなくなる。もしやれば。前と後ろから刃が刺さるようなことになる。>今日でも状況は同じなのである。前と後ろから刃物を出すのが、原不二子である。そして、小沢一郎が豪腕なのは、正に黒沢尻を開いた、藤原姓を受け継ぐ「天皇の血筋」だからである。明治になったから、地頭はみんな「天皇の血筋」に成った訳である。これが、明治から始まった天皇制の起源である。それを、神話を書いて、古く見せているだけである。人間の起源が北京原人では無く、アフリカ大陸と云うのだから、オバマ大統領の遺伝子が一番古いと云う学説は存在しますかね?アジアの「白禍」である。米英政府は如何思いますか?やはり「黄禍」ですかね?それは、HONDA・SONY・HAZAM・東芝でしょね。八重樫運吉の昭和16年からの政策「技術的行動組織」ですね。ここが「戦争」であり、橋下徹の教育改革論の源「黒沢尻北高等学校」であります。

2012年3月5日 プーチン大統領閣下 シベリアの凍土に眠る日本民族がカッカする日 
榎本東州記

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